東京裁判では米英ソを中心とする 「連合国」 が、 いわゆるA級戦犯として 28人を起訴 し、公判中に死去した被告などを除く25人を有罪とした。 このうち東条英機・元首相ら、絞首刑に処された7人を含む14人が靖国神社に合祀されている。 その靖国神社への小泉首相の参拝が、内外に摩擦を生じている。

 東京裁判には少なからぬ疑問もつきまとう。

 例えばA級戦犯の選定基準。 中には、開廷直前にソ連の要求により被告に追加された重光葵・元外相もいた。 重光氏は、戦後、外相に返り咲き、死去に際しては国連総会が黙祷を捧げている。
 日米開戦回避のため苦闘し、戦争末期には早期停戦に努めた東郷茂徳・元外相なども含まれていた。

 東京裁判では、裁く側の “資格” にも問題があった。

 判事席・検事席にいたソ連は、第2次大戦の初期、 「侵略国」 として国際連盟から除名された国である。 しかも、日ソ中立条約を破って参戦、60万人の日本兵捕虜らをシベリアに拉致して、数万人を死亡させる理不尽な国際法違反の“現行犯”を継続中 だった。
 同じく 「日本の侵略」 を裁いた英仏蘭も、アジア 「再侵略」 の最中 だった。 オランダがインドネシア独立軍と停戦協定を結ぶのは、東京裁判判決の翌年、49年だ。 フランスは、54年の軍事的大敗までベトナム再侵略を諦めなかった。

 「連合国」 による “戦犯” 選定基準、東京裁判の枠組みの妥当性をも、検証し直す必要があるのではないか。

 終戦直後には、日本自身の手で戦争責任を糾明しようとする動きもあった。 東久遡内閣の戦犯裁判構想、幣原内閣の戦争調査会などだ。 しかし、いずれも 「連合国」 によって妨げられた。

 東京裁判において国際法学者のパール博士はこういいました。
 勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。 力による 暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろうはずはない。
この言葉の意味を深く受け止めなければいけないと思います。

 東京裁判それを一言で言えば 勝者による敗者への 「復讐裁判」 です。
 一方的な復讐裁判それが東京裁判だと思います。
 アメリカが行った原子爆弾の投下シナ側が行った便衣兵
 この2つのことを見ただけでも国際法違反であります
 しかし、それらのことは裁かれることはなかったのです。
 このことを見ただけでも本当に正当な裁判であったのかどうかわかると思います。

 また、アメリカが行った経済封鎖などにより日本は戦争に追い込まれました。


   ( 日本が侵略のために戦争を行ったとする考えをもう一度見直すべきでしょう )

 日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。 彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。 その他実に多くの原料が欠如している。 そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。 もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れていました。 したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

 これはマッカーサー自身が言った言葉です。
 この言葉は何を意味しているのでしょうか?
 もう一度よくこの言葉を受け止めて考え直してみる必要があると思います。

 また、パール博士は次のように述べました。
 米国が日本に送った通牒を受け取ったならば、日本でなくてもモナコ王国やルクセンブルク大公国でさえも米国に対して矛をとって立ちあがったであろう。
 と述べています。
 パール博士のこの言葉は日本の開戦当時おかれていた現状をよく表す言葉だと思います。


 東京裁判それは国際法を無視した勝者による復讐裁判。 このような正当でない裁判によって、我々は裁かれたのです。 そして、未だに多くの日本人がその東京裁判史観から立ち直れないでいます。 私は思います。 今こそ日本人の手によって大東亜戦争・東京裁判・南京事件などについて再認識の必要があるのではないかと。 我々1人1人が自らの国・歴史などについて考えるようになれば、きっと明るい未来は見えてくると思います。

 アメリカが正義であり、日本が悪であるとする考えを早く拭い捨てなくてはいけません。
 自らの国を嘆き憎み愛せない国民の住む国は滅びます
 自らの国の真実の歴史を知らない国は滅びます
 日本がその様なことにならないように、本当に心から願っています。
 日本国を愛し日本人である喜びをもてる子供たちが育っていけるような環境の整備が待ち望まれます。
 そして、日本人が自らの国の歴史を知り世界の国々の人々と真の友好関係をきずいていける日が来ることを希います。

1951年=昭和26年5月3日米国議会上院軍事外交合同委員会に於ける
ダクラス=マッカーサー米国陸軍元帥( 連合国軍総司令部最高司令官 )の証言

[ 英文 ]

STRATEGY AGAINST JAPAN IN WORLD WAR Ⅱ

Senator HICKENLOOPER: Guestion No.5:Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

General MACARTHUR: Yes,sir.In the Pasific we bypassed them.We closed in. You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people,crowded into 4 islands.It was about half a farm population.The other half was engaged in industry.

Potentially the labor pool in Japan,both in quantity and quality,is as good as anything that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.

This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.They built the factories, they had the labor,but they didn't have the basic materials.

There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.

They lack cotton,they lack wool,they lack petoroleum products,they lack tin, they lack rubber,they lack a great many other things, all which was in the Asiatic basin.

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

[ 和訳文 ]

問: では五番目の質問です。 中共( 原文は赤化支那 )に対し海と空とから閉鎖してしまへといふ貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。

答: その通りです。 太平洋において我々は彼らを迂回しました。 我々は包囲したのです。 日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。 その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。 歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。

 これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。 彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。 しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。

 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。 彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。 その他実に多くの原料が欠如してゐる。 そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。 したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです。

  1.東京裁判資料刊行会編『 東京裁判却下未提出弁護側資料・全8巻 』( 国書刊行会 )
  2.小堀桂一郎編『 東京裁判日本の弁明-「却下未提出弁護側資料」 抜粋 』( 講談社学術文庫 )
   等に掲載されています。個人では後者が入手に便利だと思います。

 マッカーサーは上院の聴聞会で、こんなことも言っています。

 「私の個人的な見解だが、アメリカが過去100年で太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者がシナにおいて勢力を拡大しているのを黙過してしまったことである。 次の100年で代償を払わなければならないだろう」

 どういうことか? マッカーサーの発言は、ソ連封じ込めの提唱者として有名なアメリカの外交官ジョージ・ケナンの言葉と完全に符号します。 ケナンは回想記 『アメリカ外交50年』 のなかで、こう言っています。

 「アメリカは日本の勢力をシナ本土、満州、朝鮮から駆逐したことで、自分たちの目標を達成したかに見える。 しかしその結果アメリカは過去半世紀にこの地域で日本が直面し、対処してきた問題と責任を日本に代わって引き受けなくてはならなくなっただけだ」

 つまり …… 日本の資源を断ち切って、追い詰めたのは、アメリカです。 そしてアメリカが日本を追い詰めた目的は、シナ大陸から日本を排除することでした。 なぜ、日本を排除したかったのか? 私たち日本人には、アメリカの真意はわかりません。 しかし恐らく、日本の強大化を防ぎたかったのでしょう。 だから、難癖をつけて、日本を戦争に引っ張り込んだ …… そして、排除して初めて気づいたのです。 自らの本当の敵は、日本ではなく、共産主義だったのだと ……

 我らと戦ったアメリカの当事者たちですら、あの戦争を省みて、新たな教訓を得ているのです。 私たち日本人もそろそろ、過去70年間の歴史観を見直し、失われた 「日本人のための歴史」 を取り戻すときではないでしょうか。

 マッカーサーは、こうも言っています。

 「勝利した国家が敗戦国を占領するという考え方がよい結果を生み出すことはない」










『東機』







( 2016.01.31 )

  

 中国はことあるごとに、 「侵略戦争」 を発動した日本という “歴史問題” を持ち出して、日本を国際社会における 「永遠の罪人」 に仕立て上げようとする ──。 これは 『日中戦争の 「不都合な真実」 』 ( 北村稔・林思雲、PHP文庫 )からの引用だが、この一書を読めば事柄の大筋と本質がよく分かる。
     


毛沢東主席と握手する田中角栄首相。左端は周恩来首相=1972年9月、北京市内
 「毛主席がお会いします」
 突然、そう言われて田中角栄、大平正芳、二階堂進の3人が会見に臨んだ。 「もう喧嘩けんかは終わりましたか」 という毛沢東の名言はこのときのものだ。 緊張の中にも和気に似たものがあふれていた。

 あれから40年!( 正確には44年か )。 3人のうちのあるご子息からうかがった話である。
「訪中した宴席でのこと、随員が 『井戸を掘った人の恩は忘れないと言っていただいて以来、今日まで友好関係が続いたことは慶賀すべきことです』 と述べたところ、先方の高官から思いがけない言葉が返ってきたのです」
 ほうッ。
「今、私どもは井戸水なんか飲んでいません。 ミネラルウオーターです!」
 まぁ、なんと。 ♪古い上着よ、さようなら…。 さらば 「韜光養晦とうこうようかい」 というわけですナ。 その心は〈 日本から取るべきものは取った。 オレたちは今や大国なんだ 〉というわけですか。




 毛沢東は別の折、訪中した社会党( 当時 )の佐々木更三らを前にこう言っている。
「皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結できなかった。 皇軍はわれわれにとって素晴らしい教師だった」
 それはそうだろう。 満洲事変以後、毛沢東は日本を格好の餌食ととらえ、徹底的に 「抗日」 をあおったのだから。 中国共産党が政権の座にある正当性は 「抗日戦勝利」 というタテマエにしかないのだ。 日本が侵略者でないと困る。

 それは、あちらの言い分だから仕方がない。 けれども、こちら側でも 「侵略戦争だった」 と先さまに同調する人たちが大勢いる。

 共同声明に至るプロセスで 「ご迷惑をおかけしました」 と言ったのだから、それで十分ではないか。 中国側は 「女性のスカートに水をかけたときに使う言葉ではないか」 と不満気ではあったが、いや、日本語では誠意を尽くした言葉なのだと説明して、中国側も 「了」 としたのではなかったか。 中韓とも 「蒸し返し」 が大好きなお国柄であるらしい。

 あのとき、もし、角サンでなく岸信介だったらどうなっていただろうか。 同時代を経験した両者なら意外と話が合ったかもしれない。 岸信介は生前、 「東京裁判」 についてこう語っている。
「戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対しては責任はない。 しかし、勝者が敗者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するか、負けたからには仕方がない。
 ただ、自分たちの行動については、なかには侵略戦争というものもいるだろうけれど、われわれとしては追いつめられて戦わざるを得なかったという考え方をはっきりと後世に残しておく必要があるということで、あの裁判には臨むつもりであった」

( 『 岸信介の回想 』、岸信介・矢次一夫・伊藤隆、文春学藝ライブラリー )




 数多くの文献に当たり、歴史の真実に迫る努力も大切だが、同時代の人々の証言が得られれば、なお立体化した歴史イメージを描くことができる。 伊藤隆氏らが進めてきたオーラルヒストリーの意義はそこにある。

 「日本の侵略」 を口にする人々に問いたい。 今、中国がやっているもろもろの覇権的行為は 「侵略」 ではないのか。 チベット、ウイグルを虐げ、尖閣・沖縄に触手を伸ばし、南沙をかすめ、内にあっては今世紀の出来事かと思わせるほどの拉致を含む人権・言論の抑圧 ──。 これらは人間精神への侵略にほかならない。

  調