Tokyo war crimes tribunal seen from Dibad
東京裁判

 昭和21年5月に始まり23年12月に7人の 「戦死」 で終わった東京裁判とは、戦前を否定し、新しい日本をつくった原点である。 憲法も自衛隊も教育基本法も、すべての戦後体制は東京裁判の結果である。 過去を清算し出発したはずである。
 すなわち日本は、東京裁判によって、過去を清算し封印し忘却し、精神に負った大きなトラウマを隠したまま、経済のみに集中し邁進してきた。 もちろん、精神のトラウマはおりにふれて噴出していた。 中国人と韓国朝鮮人はこの傷をいたぶる連中だった。
 経済の成功は一時的にそれを忘れさせてくれた。 戦争にやぶれた日本は、経済で自信を回復したはずであった。 しかし、肝心かなめの経済が、バブル崩壊とともに、壊滅の危機に瀕している。 すなわち、今、日本人は東京裁判という精神のトラウマと経済失速のトラウマの二重の危機と自信喪失の中にいる。
 経済のトラウマの克服は難しくない。 しかし、精神のトラウマの克服は容易ではない。 戦後57年間もつづく東京裁判史観というトラウマの歴史がそれを証明している。 経済の病は経済政策によって回復が可能である。 しかし、民族の精神の傷、トラウマの回復は何をすればいいのだろうか。
 東京裁判にその鍵があると確信している。 なぜならば、東京裁判が戦後日本のすべての原点だからである。 東京裁判には、戦後日本のあらゆる問題を解く鍵がある。
( 平成15年夏 )

今、なぜ、東京裁判なのか

 今から、57年前、大東亜戦争に敗れた日本は、東京の市ヶ谷台に設けられた 「極東国際軍事裁判」、通称、東京裁判において裁かれた。
 この裁判では、元総理大臣から各人臣、陸海軍の元帥や大将以下、きら星のごとき高位高官が起訴され法廷で裁かれた。 これは日本の歴史はじまって以来の衝撃的な出来事であった。 このショックは、今もなお 「東京裁判ショック」 として日本人の精神をむしばみ続けている。 この精神的なトラウマから醸成されたものが 「東京裁判史観」 であり、この裁判にもとづく戦後体制が 「東京裁判体制」 である。


東京裁判の克服は日本のすべての政策に優先する

 憲法問題も、日米安保条約も、防衛問題も、沖縄基地問題も、中国・韓国との関係も、歴史教科書問題も、靖国神社問題も、すべては地下水脈のように東京裁判につながっている。
 ここで決定された負の遺産が、日本という国家の完全自立を阻み、日本人をがんじがらめにして、身動きがとれないようにしてしまった。 日本は犯罪者として裁かれ、有罪になったという結果だけが一人歩きした。 その結果、日本は悪いことをした前科者というイメージが定着し、保護観察中の未成年犯罪者のような精神構造に陥ってしまった。
 このトラウマは半世紀たっても消えず、自立できない幼児性の強い人々のようになってしまった。 しかも、この傾向はますます強くなっている。 これが憲法、安保、防衛、基地、中国・韓国など、国際問題に関して自立できない国家となってしまった根本原因である。 ゆえに、東京裁判の克服がすべてのものに優先するのである。 この裁判の克服なしには、日本は真に自立した国家とならないだろう。
 たしかに、半世紀前の多くの日本人は、戦後復興の忙しさも伝って、東京裁判の理不尽さに異議をとなえず、その結果だけを安易に受け入れてしまった。 ドイツ人がナチスドイツに戦争責任を転嫁し復興に邁進したように、日本人は戦争犯罪人とされた一群の人々に責任を転嫁して戦後復興に邁進した。 そのツケが半世紀以上もたって、まわり回ってやってくるということに、当時の日本人のだれひとりとして気がつかなかった。
 すなわち、時とともに、東京裁判の結果だけが一人歩きし、裁判で明るみに出たアメリカの原爆投下など連合国の理不尽さは、法廷の中だけに留まって、決して日本人の耳には届かなかった。 昭和21年から23年にかけて、法廷の中で、連合国の理不尽さを追及し、見事な成果をあげた弁護団の活躍は、東京裁判の終了とともに忘れ去られていった。
 清瀬一郎やブレイクニーなど日米の弁護士の活躍を知るものは少ない。 高柳賢三博士の格調高い国際法理論の朗読を知っているものはほとんどいなくなった。 インドのパル判事の日本無罪論の判決を知る者がどれだけいよう。


日本人が自信喪失した最大の原因

 東京裁判から57年が経過し、東京裁判は完全に風化している。 一部の研究者しかこの裁判について言及していない。 まして、マスコミも一般人もほとんど知らない歴史の彼方の物語となっている。 戦後世代の政治家も関心がない。 古い世代も知ってはいるが中身についての詳細な知識はない。
 靖国神社参拝問題で、中国と韓国から非難されると一言も反駁できない。 A級戦犯が合祀されているからダメだと批判されたら、反駁もせずに、ただ 「そうかな」 とうなずいているだけである。
 もしA級戦犯というものがでっちあげの冤罪であったら、さらに、東京裁判を開設したことそのものが間違いだったら、A級はもとより戦犯という言葉は存在しなくなり、中国や韓国や日本の偏向マスコミの主張は、まったく根拠を失い根底から瓦解するのである。
論理学が教える根本原理は、
( 1 )前提が正しいと結論は正しい
( 2 )前提が間違いであると結論は間違いである
 ということである。 ということは、東京裁判が間違いであったならば、A級戦犯は存在せず、日本は犯罪者ではないということになる。
 しかるに、戦後50年以上も、多くの日本人は、東京裁判は正しい裁判であり、A級戦犯は戦争犯罪者であるという間違った結論をもち続けている。 ゆえに、中国や韓国からの非難に対して有効な反駁ができず、ただ反省と謝罪を繰り返すだけとなる。 日本が反省と謝罪を繰り返すかぎり、中国と韓国は、水戸黄門の印籠のごとく、靖国神社を持ち出して日本を跪かせようとする。 この悪しき慣行が繰り返されている。


「A級戦犯」 などと軽々にいうなかれ

 A級戦犯という言葉が一人歩きしている。 東京裁判の戦犯に対する呼び方から由来して、さらに、特定の人間を弾劾する時によく使われるようになった。
 しかし、日本人が 「A級戦犯」 という言葉を使うのは絶対にやめた方がいい。
 第一に、この名前は検事側である戦勝国・連合国の呼び名である。 被告・弁護団は口が裂けても使いたくない言葉である。
 A級戦犯という名称を受け入れることは、日本人白身が、連合国の裁判とその結果を受け入れることになる。 それでは2年6ヵ月間にわたる弁護団の血みどろの法廷闘争の意味がなくなる。 弁護団は無罪を勝ち取るために獅子奮迅のディベートをしたのである。
 A級戦犯という言葉を無批判につかうこと、これが東京截判史観の証拠である。 当時、日本人は生きるのが精一杯であり、占領軍の検閲制度のもとでは、マッカーサーの占領政策について、批判する余裕も権利もなかった。 まして、東京裁判の批判や非難は不可能であった。 あの法廷で行なわれた裁判の正確な情報はまったく日本人には伝わらなかった。 今でこそ、理不尽な裁判だったことも明らかになっているが、当時は不可能だった。 東京裁判史観というものが形成されてゆくのは自然であった。
 第二に、七人のA級戦犯とは、日本の国のために戦い、敗れた結果、日本人の敗戦責任を代表して刑死した人である。 われわれ一人一人の日本人の、敗戦の責任を背負った人である。 戦争犯罪人というのは無慈悲な言い方である。 熱海市の伊豆山の、故吉田茂元首相の筆になる墓碑銘には 「七人の碑」 と刻まれ、愛知県蒲郡の三ヶ根山の墓碑には 「殉国七士墓」 となっている。 日本人ならば一度は訪ねてもらいたい聖地である。
 A級戦犯を非難するのは、自分たちの罪を他人に転嫁して、罪を免れようとする卑怯卑劣な考えである。 ドイツ人がヒットラーとナチスに責任を転嫁して罪を免れようとしていることと同じである。
 ドイツ人の人道に対する罪は決して消えるものではない。 しかし、日本はドイツとは違う。 日本は国家としての戦争を戦ったのであって、民族絶滅を計画し実行したのではない。 日本は正々堂々と 「国家の戦争」 を戦い敗れたのである。


靖国神社と東京裁判

 「A級戦犯が祭られているから靖国神社参拝はけしからん」 と、中国や韓国が反対するのはきわめて政治的な行動である。 靖国神社が日本を封じ込める水戸黄門の印龍として、いまだ機能しているからである。
 しかし、こういう干渉をはねつけるのは難しいことではない。 中韓の干渉には 「黙れ、内政干渉である」 という断固たる一言だけでいい。 よけいなことを説明したり、言い訳をする必要はまったくない。 民族が民族のために戦死した英雄をお参りするのは説明する必要のない自明のことであるからだ。
 それでもしつこくいうならば、 「民族の信仰に対する干渉である。 ジハード( 聖戦 )を宣言する」 と言ってやればいい。 断固たる姿勢、国交断絶はもとより戦争も辞さない決意を中国や韓国にみせればいい。 靖国神社問題はそれほど重大なことだ。
 もちろん、こういう断固たる反駁をするためには理論武装がいる。 A級戦犯という勝者による理不尽な裁判、すなわち東京裁判について、理論的にも、思想的にも克服しておく必要がある。
 この理論武装や思想武装がないから、断固たる反撃ができないのである。 東京裁判史観に毒されきった野党政治家は論外として、与党の戦争体験世代の大物という政治家までもが、A級戦犯についてまったく無知である。
 ゆえに、中国や韓国の主張に無残なまでも迎合することになる。 これは無知というより、生きている日本人はもとより、この国のために死んでいった数百万人の日本人に対する犯罪である。


日本は無条件降伏ではない

大物政治家の無知と知的怠慢

 今年の5月3日の憲法記念日に、憲法改正を旗印にした歴史のある保守系の憲法改正の国民会議という集会に参加した。 来賓として登壇した自民党の外務大臣までつとめたことのある政治家が 「二度と侵略戦争をおこさないためにも憲法の改正は必要である」 と述べた。
 愕然とした。 一般国民の東京裁判史観の克服どころではない。 保守の政治家までが日本の戦争を侵略戦争として裁いた東京裁判を当然のごとく肯定し疑いもしないのである。 こんな人物による憲法改正なんぞは、現行のマッカーサーの憲法の二番煎じにすぎないと思った。
 なぜならば、マッカーサーの作った憲法を受け入れ、マッカーサーの東京裁判を受け入れている人間が、自主憲法制定とは、まったくの矛盾である。 自主憲法のためには、マッカーサーによる呪縛と洗脳のための最大の儀式、東京裁判を否定してはじめて可能であるからだ。 この保守政治家は、自分が相反することを言っている矛盾にまったく気がついていない。 知的怠慢どころか頭の悪さに愕然とした。
 この政治家は、戦後衆議院議長をつとめ自民党の政治家でもあった、東京裁判弁護士清瀬一郎の爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいだろう。 自分たちの先輩政治家が2年6ヵ月もの間、マッカーサー相手に血みどろになって法廷で戦った跡を、少しは勉強したらどうだと思った。 無知とは無残なものである。 こういう知的怠慢は日本の歴史にたいする犯罪ですらある。


満州事変

満州事変は侵略戦争か否か

 東京裁判は、日本の政治、憲法、議会、教育などの 「一般問題」 をとりあげた後、7月1日から、いよいよ満州問題に入った。 満州事変と満州国建国の問題である。
 日本の悲劇の始まりは満州問題にある。 もし、石原莞爾いしわらかんじのいうように、満州だけで止めておけば、日本の悲劇はなかっただろう。 隆々たる日本の発展がありえたはずである。 なぜならば、満州国は当時、日本人の理想を実現するにふさわしい国家として発展しつつあった。 当時、日本以外のアジアでは、もっとも発展した工業国家、産業国家としてその基礎を固めつつあった。

「満州事変は日本の侵略戦争だったか否か」
これが東京裁判における 「満州事変」 についての論点である。

満州事変・満州帝国をめぐる討論

立証開始日
昭和21年7月1日午後
有名な証人
岡田啓介( 2.26事件の時の首相、海軍大将 )
田中隆吉( 陸軍省兵務局長、陸軍少将 )
溥儀ふぎ( 満州帝国皇帝・清朝最後の皇帝、宣統帝 )

検察側の論点:
「満州事変は日本による侵略戦争である」

検察側の主張
「日本は満州を侵略した。 それはパリ不戦条約や九ヵ国条約の違反である。 ゆえに有罪である」
( 1 )関東軍は武力で満州を侵略した。
昭和3年、関東軍参謀の河本大作が張作霖を爆殺した。 これが満州侵略の始めである。
柳条湖で満鉄線路を爆破し中国軍のしわざとして攻撃を始める。 これは満州全域の占領の始まりである。
関東軍は満州全域を武力占領した。 あきらかな侵略戦争である。
( 2 )満州帝国の建国
満州帝国は日本の傀儡国家である。
リットン調査団は満州の主権は中国にあると報告した。
国際連盟は満州国の不承認の決議をした。
満州帝国の実権は日本人が握っていた。
皇帝溥儀は傀儡だった。

田中隆吉少将の証言 怪物の証言

 満州事変での証人として、あるいは、東京裁判全体で有名になった証人は二人いる。 一人が元陸軍省兵務局長田中隆吉少将であり、もう一人が元満州国皇帝溥儀である。
 田中隆吉少将は、かつての同僚、友人、先輩である被告を、検事の指示で証人席から指さしたり、多くの秘密を暴露した。 検事側の告訴のシナリオ通りに、満州事変や満州帝国の成立の事情を 「侵略として」 証言した。 検事側の証人として被告の責任を追及することで天皇陛下に対して罪が及ぶのを防いだそうだが、日本人が日本人の罪をあばくのは、心地よいものではない。
 現在、歴史的に判断すると、田中隆吉当人が何と釈明しようと、検察側・連合国側のシナリオにそって踊ったことに間違いはない。 当人が正義感を振りかざしても、この人物の思考には 「日本は侵略戦争をした、ゆえに、有罪である」 という前提があった。
 ここがきわめて重要な点である。 彼は日本が侵略戦争をしたという前提に立っている。 彼の行動をみていると、日本は有罪であり決して無罪ではないという前提があきらかに証言にうかがえる。 かつての帝国軍人がいくら天皇をかばうというカッコいいことを言っても、自分のみならず、同僚、友人、先輩の行動を否定するのは、その人間性を疑う。
 日本人は捕虜になると、ペラペラと軍の秘密をしゃべるというのは有名な話であるが、田中隆吉の行動も、こういう日本兵士の文化人類学的区分の範躊にはいるだろう。 いかに軍部が横暴であっても、暴虐であっても、戦い敗れて裁かれている同胞を同胞が売るというのは、ほめられたことではない。
 これは日本人が陥りがちな戦術的判断である。 簡単に言うと、仲間内でケンカをしてしまい、相手の術中にはまるのである。 マクロ的な戦略的判断にたてば、日本弁護団の行動こそ正しい。 東條英機大将を弁護し、日本を弁護し、獅子奮迅の活躍をした清瀬一郎だって、心の底では戦時中の軍部の横暴に悩まされ憎んでいたはずである。 しかし、こと国家を弁護し守るという大目的のためには、小異を捨てて戦争犯罪と非難された人達を徹底的に弁護した。

 田中隆吉証人は、昭和21年7月5日から9日まで検事側証人として、かつての同僚、先輩の行為を片っ端から証言した。 多くの被告は戦々恐々としただろう。 怒りを通り越して田中の人間性を疑っただろうと思う。
 板垣征四郎について恩人だと証言しておきながら、しゃあしゃあと板垣に不利なことを証言している。 当初は複雑な心境、しかし、裁判が進むにつれて、怒り心頭というのが批判された被告であろう。
 たしかに田中の証言は彼が見聞きした範囲の中での事実である。 しかし、検察側のシナリオにもとづいた事実は被告に不利になる。 日本の置かれた歴史的な位置づけ、地政学的な意味をぬきにして、枝葉末節なことを証言することは、検事側の思うっぼである。 当人は、国家と天皇のためと思っても、長い歴史のスパンでみると、田中の行為は国家と天皇と国民のためにはならなかった。 連合国のために踊った悲しいピエロだった。


日本人の卑屈さと戦術的判断

 田中隆吉証人の行動を批判したが、法廷の外での当時の圧倒的多数の日本人は、田中と同じ思考と行動をとっていたのではないか。 戦争中、鬼畜米英を唱えていたくせに、敗戦とともに、見事に転向した。 卑屈なまでの転向、変身である。 すなわち、日本人は、戦争の責任を東條英機大将以下の人間に転嫁して、自分たちはほっかむりして今日にいたっている。
 結局は、マッカーサーと連合国のシナリオ通りに、日本が悪者で連合国は善と信じてしまったということだ。 すべては日本が悪い、戦争犯罪を日本は犯したということだ。 満州事変は侵略戦争だったと信じこみ、今にいたっている。 東京裁判史観であり、自虐史観というものである。 占領軍による日本人の見事な洗脳である。
 その見事な成功例が、 「過ちは繰り返しません」 などという噴飯ものの文句を書かせた広島の原爆碑である。 原爆投下の犯人はアメリカであるはずなのに、あたかも日本人にすべての責任があるようになっている。
 原爆投下の残虐行為の責任は第一義的にアメリカの大統領にある。 決して日本人にはない。 これがアメリカ人弁護士ブレイクニーが指摘した点である。 アメリカ人でさえ、自国の原爆投下の残虐を批判しているのに、被害者の日本人が加害者のごとく振る舞う、まことに、なんというのか、卑屈というのか、情けないとしかいいようがない。
 結局、戦争犯罪をしたのは日本であって、原爆投下や無差別爆撃というアメリカの責任など霧散してしまって戦後50数年である。 東京裁判を再現する重要性はここにある。


元満州国皇帝溥儀の証言

 溥儀は東京裁判での証言者の中の大物の代表選手である。
 かつての満州国皇帝であった溥儀は、日本敗戦の時ソ連の捕虜となり、東京裁判の法廷でも、ソ連側の証人として登場した。 ソ連側によって空路、日本に運ばれ、ソ連の監視下にあった。
 法廷では、日本側に不利なことばかりを証言した。 満州国の皇帝は傀儡であったと証言した。 満州人として、清朝最後の皇帝として、父祖の地満州に復権したのは、彼自身がそれを望んだからである。 そのことは、多くの証人の証言や歴史の事実がある。
 そうでなければ、すでに滅亡した清朝が復活するはずがないのである。 不遇の境遇でいるよりは、たとえ傀儡であったとしても、満州国皇帝の地位は決して悪くないはずであった。 もともと皇帝などという地位は、臣下からあがめたてまつられる傀儡的なものである。
 法廷での溥儀は、弁護団から反対尋問を受けて、しどろもどろになり、証言台で突然バネ仕掛けの人形のように立ち上がり、悲鳴に似た声を上げたことも有名な出来事である。
 かつて満州国皇帝として来日し、天皇陛下の歓迎をうけた人であり、満州国皇帝としての尊厳を重んじて、弁護団は当初、反対尋問を自粛していた。 しかし、彼のあまりの証言ぶりに、弁護団は自粛申し合せをやめて積極的に追及の反対尋問を行なった。
 ソ連側の捕虜であり、立場が悪いとはいえ、皇帝としての気概、人間性のかけらもないといえる。 法廷というものは、その人間の本性を丸出しにする所である。
 そういう意味では、左翼的イデオロギーの持主とはいえ、一般問題の時、検事側立証の段階における、滝川幸辰京都帝国大学教授の証言も感心しない。 「満州事変、支那事変、大東亜戦争はすべて侵略戦争である」 と証言した。

 満州問題における対ソ連をふくめて、戦前期の愛国者たちがいかに、共産主義との戦いに獅子奮迅の努力をしたかということを、戦後日本人はもっともっと考えるべきだろう。 共産主義に対してあまりにも無防備で甘い。 これは戦前戦後変わらない。
 結局、日本の戦争は共産主義との戦いだった。 その共産主義に洗脳された知識人、学者がいかに多くいたか。 そして結果として日本を滅亡に追い込んだことになる。
 しかも、それは戦後も続き、ソ連崩壊まで、戦後の日本の政治家、知識人、学者、マスコミを洗脳し続けて今にいたっている。 いまだに、マルクス・レーニン・スターリンの亡霊は日本をさまよい、害毒を流し続けている。 東京裁判史観はその代表的なものである。 父祖たちの大いなる戦争、そして、東京裁判での日本弁護団の獅子奮迅は、いまだに報われていない。


弁護側の論点:
「日本の戦争は自存自衛の戦争だった」

弁護側の主張
「満州事変は日本の自存自衛の戦争だった。 満州帝国は対ソ連の防衛のためであった。 東アジアの共産主義化を防衛するためであった」
( 1 )満州に関する日本の権利には歴史的な根拠がある。
満州における日本の諸権利は日露戦争の結果として与えられたものである。
南満州鉄道、および、それに付随する権利は、日本に割譲されたものである。
関東州に関する権利も日本に割譲されたものである。
( 2 )満州国は五族協和の理想をめざした国家である。
満州は支那の固有の領土ではない。
満州国は満州族の土地である。
満州国は王道楽土の理想国家の建設をめざしたものである。
( 3 )満州国はソ連による赤化政策の防波堤であった。
ソ連の南下政策、赤化政策を防ぐ国家であった。
朝鮮半島の防衛のための国家であった。
日本の自存自衛のために必要な国家であった。

日本の満州進出は歴史の結果であり手段である

 日本の満州進出は歴史の結果である。 単純な 「侵略戦争」 の結果ではない。
 ここが非常に重要な点であり、戦後日本人が大変な誤解と曲解をしている点である。 歴史の結果としての満州進出と、侵略戦争の結果とでは根本的に異なる。 歴史の結果ならば、それはアメリカ大の西部開拓と同じである。
 新しい開拓地をもとめて、あるいは、ゴールドラッシュで“金”をもとめての西へ西への進出は、結果としてのインディアンの駆逐であり、結果としての西部進出だろう。 アメリカ人は、無意識的に侵攻を行なったかもしれないが、当時の意識としては、侵略戦争を起こしてインディアンを虐殺しだのではないはずだ。 日本の満州進出もまったく同じである。
 目的と手段の関係でいうと次のようになる。
 満州進出そして満州帝国の建国は、ロシアの侵略を防ぐ手段であり、ソ連の南下を防ぐ防波堤であったということだ。 目的はロシアやソ連の南下、とくに、共産主義の浸透をふせぐことに大きな目的があった。 歴史の結果として満州帝国を建国したのである。 ここに東アジアの歴史と日本の置かれた位置がある。
 目的としての満州と、手段としての満州では天と地ほどの違いがある。 歴史における結果としての満州と、侵略戦争の結果としての満州では地動説と天動説ほどの違いがある。
 連合国、検事団は、日本の満州進出は侵略が目的だと判断した。 侵略戦争の結果であると断定した。 東アジアの歴史に無知なるアメリカの誤解であり、ロシアやソ連の意図をまったく理解できない歴史オンチのアメリカの痛恨の誤りである。


満州帝国は大工業国家になっていた

 戦後の日本人は、満州事変をふくむすべての日本の行動を侵略戦争と思い込んでいる。 東京裁判はみごとなまでに日本人を洗脳してしまった。
 重要なことは、満州帝国は戦前すでに工業国家として大きく成長していたということである。 満州の開拓と発展のために、あるいは理想に燃えた多くの日本人が、満州帝国の発展につくした。 満州鉄道を整備し、重化学工業を起こし、ダムを建設し、道路をつくり、学校を作った。 都市は本土よりも大きく、町並みや道路を整備した。
 もし、あのまま発展していれば、日本に次ぐ産業国家になっていただろう。 戦後も、中国のどこよりも発展していたはずである。


欧米に日本を告訴する資格があるのか

 日本の満州進出を侵略戦争と告訴した検事団である連合国に、日本を告訴し非難する資格があるのかということだ。 過去の歴史において、欧米の残虐な行為、自分たちの帝国主義的な侵略を棚にあげて日本を非難するのはおかしいのである。
 日本弁護団の弁護士をつとめた滝川政次郎や菅原裕の東京裁判に関する著書の中には、欧米の傲慢さへの怒りが随所にある。 リットン調査団の報告が歯切れが悪いのは、欧米人の心理を投影しているからである。 構成メンバーの英米仏独伊の諸国に日本を批判する資格などありはしない。 その後のドイツやイタリアの行動こそ侵略そのものである。 まして英米仏にいたっては、歴史的に世界を侵略して回った国である。 自分たちの侵略が終了した後、その地位をおびやかす日本を袋叩きにしたということだ。
 ロシア・ソ連も同様である。 現在のシベリアという上地のほとんどは清の領土であった。 外興安嶺から以南の広大な土地は清の領土だった。 緯度でいうと、北緯55度以南の土地である。 アムール川も沿海州も入る広大な上地である。 大正7年( 1918年 )日本がシベリア出兵した地域にあたる。 ロシアは清からこの広大なシベリアの土地を奪った。 そして、ソ連そして現在のロシアにいたっている。
 さらに、日ソ中立条約を破って日本を侵略したそのソ連が、検事団に名を連ねて、すでに処理済みの張鼓峰事件、ノモンハン事件までを侵略戦争と告訴した。 何という厚かましさ、厚顔無恥という言葉は、ソ連のためにある言葉である。 ことほどさようにソ連を筆頭にした侵略者のご本家、西欧人の厚顔無恥には驚くほかはない。
 ついでにいうと、戦後の自虐的史観の呪縛の中で悪名高いシベリア出兵も、現在からみると、決して間違っていない。 シベリア出兵でロシア革命を防ぐことができていたら、その後の世界史は劇的に書き直されただろう。 共産主義による数千万人の虐殺という世界史的な悲劇はなかった。


自虐史観の日本人

 自虐的な史観をもった文献や執筆者がほんとうに多い。 中国に肩入れする左翼陣営の人間ならやむを得ないと思う。 彼等とは歴史観や価値観が異なるので無視するしかない。
 しかし、一見、公平を装った本が出版されていて、その中に見事なほどの自虐的な史観がみえるのである。 当人が気がついているのかどうか知らないが、文章の端々に侵略戦争史観が丸見えである。
 どうしてこうも父祖たちの歴史を非難し、自虐的になるのか理解に苫しむ。 結局、公平を装っていても朝日新聞の本多勝一などの歴史観と大同小異なのである。
 ドイツ人がナチスドイツに罪をおっかぶせなければ、戦後、民族として生き残ることができなかったように、日本民族にとって全肯定は日本民族の生存のためである。 自虐史観などというのは、ドイツ民族にくらべてはるかに甘い環境がなせるわざである。
 こういうマスターベーション歴史観のなんと甘いことか。 民族が生き残るための戦略的判断のかけらもない。 大甘の自虐史観をふりまわすからこそ、戦後58年もたっているのに、中国、韓国から責められ続けているのである。
 侵略戦争を全否定することは、日本民族の未来のためである。 あるいは数百年数千年先の日本人のための戦略的な判断である。 口が裂けても侵略戦争を言うなかれである。
 侵略戦争を肯定することは、未来永劫、犯罪人であることを認めることである。 欧米の民族と国家で、こんな愚かなことをした民族と国家があるか。 スペイン、ポルトガル、大英帝国、フランス、アメリカ、これらの国で、いったい自らの過去の侵略を認めた国があるか。 絶対にない。 それは民族としての生存のためである。


日本人の敵

 自虐的歴史観をもつのは勝手だ。 しかし、それは個人の思想のなかだけにしてもらいたい。 いまさら元に返らない日本の過去の歴史を責めたてて何の意味がある。 当人だけのマスターベーションであり、自己満足の歴史観である。
 いやいや、それだけに止まっていればいいが、韓国や中国を喜ばせる歴史観であって、日本人にとって何の意味があるだろうか。
 敵の味方は敵である。 韓国や中国の歴史観に味方する人間は日本人の敵である。 これは良心や倫理観の問題ではない。 侵略戦争を全否定することは、この列島の民族の生存に責任をもつ日本人の一人としての政策であり戦略的判断である。 自分の良心を韓国や中国の人問にほめてもらって何の意味があるのだ。
 この日本の今後の百年か数百年か千年か万年か、子々孫々に責任をもつ日本人ならば、過去を責めたてて、中国や韓国の餌食になることだけは絶対に避けるのがこの日本を愛し、責任をもつ大人というものである。
 済んだ過去のことを贖罪するのを個人の良心としてやるのはいい。 しかし、それが子々孫々におそるべき害毒となるならば、まったく話の次元が異なる。
 満州事変を侵略戦争と断定するのは、連合国の検事の判断である。 日本人が、過去の満州事変を侵略戦争と断言していったい何の意味があるというのか。 それで喜び、得をするのは中国人だけだろう。
 侵略戦争と断定することで、日本人の子々孫々の受けるダメージがいったいどれはどのものか、論理的に考えたことがあるのだろうか。 子々孫々のために過去を弁護し、自国の歴史を守ることが、現代に生きている人間の義務であるし責任だろう。
 侵略戦争を全否定するのは、過去と未来と現在の日本民族を守るためであって他に理由はなにもない。 何の理由が必要というのか。 そんな常識すら分からない人間が、したり顔で自虐史観を丸出しにして、良心家のように振る舞っている。 偽善者どころか頭が悪いのにもほどがある。


支那事変

支那事変は日本の侵略戦争であったか否か

 支那事変は侵略戦争であったか否か、これが支那事変問題の論点である。
 満州事変と支那事変は連続しているような印象を一般の日本人はもっている。 しかし、この二つの出来事の間には、約4年の戦争のない時間がある。
 満州事変は昭和6年9月18日の柳条湖事件ではじまり、昭和8年5月31日のタンクー停戦協定で処理がすんでいる。 盧溝橋事件の勃発は昭和12年7月7日であるから、両事変の間には昭和8年5月31日~12年7月7日の約4年間がある。
 現代のマクロの歴史的視点からみると、日中の衝突は時間の問題だった。 日中の衝突という歴史の大きな流れを止めることはできなかったのではないか。 単純な日本侵略論で日中戦争の歴史を解釈するのは単純すぎる。 戦争は政治の手段として起きる。 日中間には政治問題が山積していた。 その結果、戦争が勃発したのである。
 双方に原因と責任があるというのが論理的な見方であろう。 単純な日本侵略論は戦後日本人の知的怠慢であり思考停止である。 日本人も中国大陸では50万人近い犠牲者を出している。 この事実も重い。
 東京裁判の法廷では、当時の日中の歴史が徹底的に検証された。 法廷での検事と弁護士の戦いとはいえ、現代の日本人からは想像もできないほどの知的努力が行なわれた。 現代日本人は、東京裁判の結果からしか歴史を見ていない。 日本は裁かれたけれども、単純に日本が侵略者になったのではない。 2年6ヵ月もの問、歴史をあらゆる角度から検討し、弁護側は日本弁護の論陣をはったのである。

検察側の論点:
「日本は盧溝橋事件をきっかけにして中国を侵略した」

検察側の主張
( 1 )1937年7月7日、廬溝橋事件を起こして中国侵略を開始した。
この事件は日本軍の謀略である。 日本軍が華北侵略のためにつくりあげた事件であった。
( 2 )華北への全面的な侵略を開始した。
盧溝橋事件をきっかけに日本軍はいっせいに華北に侵略を開始し、全華北を占領しようとした。 9月20日までに8個師団を派遣した。 満州国の安全地帯として華北を占領し傀儡政権をつくった。
( 3 )上海事変を起こし上海を侵略した。
8月13日上海事変勃発。 日本人保護と海軍陸戦隊の救援のために、日本陸軍を派遣した。 11月までに8個師団の大軍団を派遣した。 ( 1個師団は平時1万人くらいであるが、戦時には2万5千人くらいに増える )
8月23日 第3師団、第11師団派遣
9月18日~23日 重藤支隊( 台湾軍 )、第101師団、第9師団、第13師団派遣
11月5日 第10軍派遣 第6師団、第18師団、第114師団派遣
11月13日 第16師団増派
( 4 )南京を侵略し30万人の南京大虐殺を行なった。
昭和12年12月10日より総攻撃を開始し13日に完全占領した。 その前後、南京城内で虐殺、強姦、略奪などの残虐行為を行なった。 犠牲者は30万人である。
( 5 )日本は中国全土への侵略を行なった。
上海事変、南京攻略戦をきっかけに、日本は本格的な中国への侵略を開始した。

検察団の主張は正しいのか否か

 自虐史観でなくても、現代の多くの日本人は、日本は中国へ侵略戦争をしかけたと思いこんでいる。 戦後教育の影響で疑いもしない前提になっている。 まさに東京裁判における検事側の主張である。 繰り返して言ってきたが、東京裁判史観とは東京裁判における検事側の主張そのものである。 検事側の主張をおうむがえしに言っているだけであって、そこには知的努力の痕跡もない。 戦後日本人の知的怠慢である。
 しかし、裁判においては検事側の主張があるように、弁護側の主張があると考えるのが常識である。 検事側だけの主張を鵜呑みにするのは論理的思考力がゼロである。


弁護側の論点:
「日本は侵略戦争をしていない」

 これが日本弁護団の主張である。 廬溝橋は日本のしかけた事件ではなく、中国側の発砲が先にあったという主張である。 当時の盧溝橋で演習していた日本軍は1個中隊130名であった。 しかも、夜間演習中であり、空砲であった。 これは協定によって空砲で行なうことになっていたからである。

弁護側の主張
( 1 )廬溝橋事件は中国軍からの発砲によって発生したものである。
日本軍の駐屯は、1901年、北清事変( 義和団事件 )の結果の 「北清事変に関する最終議定書」 によって、英米仏伊などとともに認められている。
当日の夜間演習も議定書で認められている。 しかも、議定書どおりの空砲での演習であった。
議定書に定められた支那駐屯軍第1連隊、第3大隊、第8中隊、清水節郎大尉指揮の130名が、夜間演習中に廬溝橋で中国側から発砲をうけた。
ちなみに第1連隊長は、後に悲劇のインパール作戦の司令官となった牟田口廉也大佐、第3大隊長はガダルカナル戦で最初に投入された一木支隊9百名を率いて米軍の圧倒的な火力の前に全滅した一木清直少佐である。 軍旗を焼き拳銃で自決した。
( 2 )日本は不拡大方針であった。
参謀本部の作戦部長石原莞爾は不拡大主義であった。
対ソ連の作戦のために支那と紛争をおこすつもりはなかった。
日本は満州国の建設が最優先であった。
日本陸軍の作戦は日露戦争いらい対ソ戦を中心に策定されてきた。 作戦部長の石原莞爾は、とくに、中国との紛争拡大に反対した。 中国と戦争をするほどの余裕はないからである。 仮想敵国であるソ連は、5ヵ年計画によって軍事力の強化が進み、関東軍にたいする軍事的な優位をもつにいたった。 これに対して石原莞爾は大変な危機感をもっていた。 支那軍との紛争を早期におさめて対ソ戦に備えるのが既定の方針であった。
( 3 )支那側の挑発行為が連続的に発生した。
支那軍による挑発事件がおきた。
7月25日 「廊坊事件」 ( 軍用電話線の修理中に中国軍からの発砲事件 )
7月26日 「広安門事件」 ( 広安門という北京城内の門で日本軍が攻撃を受けた事件 )
日本人230名が虐殺された通州事件が発生した。
 日本軍守備隊と在留邦人が虐殺された。 中国軍による殺し方が凄惨で残虐非道だった。 この通州事件は日本人の怒りを大きくした。 日本人には、こういう残虐なる殺し方はない。 中国大陸の民族性がでている。
( 4 )蒋介石の対日戦争決意による上海事変の勃発。
中国側による挑発 大山勇夫中尉と斎藤要蔵水兵を射殺した。
在留邦人3万人が危機に陥った。
 蒋介石は抗日戦を決意し本格的な戦力の集中をはかった。 とくに、上海には5万前後の中国軍を集めて日本軍を一気に排除する作戦をはじめた。 中国軍は最盛時60~70万の大軍になった。
( 5 )南京攻略戦は正規の戦闘である。
宣戦布告の後の正規の戦争である。
南京事件は戦闘中の不可抗力の事件であった。
( 6 )中国共産党の活動と排日運動の激化。
中国共産党が排日運動を工作した。
世界の共産化の一環として対日活動を行なった。

 盧溝橋において日本軍は、国際法にしたがって通常の夜間演習をしていただけであった。 参謀本部の作戦部長石原莞爾は、満州国を充実させ、ソ連に備えることが国防の最優先事項であって、中国とことを構えてはならないと、説得にあたった。 中央からも不拡大方針で停戦協定を結ばせた。
 しかし、日本側の不拡大に対して、すでに蒋介石は抗日戦争を決定していた。 その方針にしたがって、日本側に対する軍事的挑発事件や通州事件のような日本人230名の虐殺事件が発生した。
 上海事変は、その象徴的な事件であった。 中国大陸の各地で中国軍が軍を集中し、当時、在留していた9万人の日本人の生命が危険になった。 とくに危険な揚子江沿岸の日本人は本国への引揚げを勧告し開始した。
 その他の地域の日本人は現地で日本軍が保護することになった。 とりわけ、上海には約3万人の日本人がいた。 蒋介石は、対日戦争の象徴として、上海を攻撃目標として中国軍を集中させた。 上海の在留邦人の保護のために海軍陸戦隊が戦闘態勢にはいった。
 上海防衛のための4千の海軍陸戦隊に対して、中国軍は5万以上の大軍で包囲した。 激しい戦闘になり、内地から救援の上海派遣軍の2個師団が急派された。 中国軍も続々と軍を増強したために、日本軍は苦戦し、陸軍はさらに内地から3個師団を増援した。 それでもなお激戦がつづき、さらに、第10軍3個師団が派遣されて抗州湾に上陸し、ようやく蒋介石軍は撤退していった。
 上海事変が終了した後、支那事変を終わらせるには、一気に首都南京を攻略すれば蒋介石も屈伏するのではないかという現地軍の意図が出てきた。 同時に、東京の本部でも、石原莞爾の不拡大主義よりも拡大派が大勢になり、一気に南京を攻略すべしとなった。
 南京事件に関しては、日本の侵略戦争の象徴的なものとなり、中国による日本叩きの材料となっている。 しかし、南京攻略戦はれっきとした戦争であって、戦争には犠牲はつきものである。 中国側の南京大虐殺の宣伝はあまりに誇大と誇張があって、日本人の名誉のためにも断固として反駁しなければならない。


日本の戦争は
 一方的な侵略戦争ではない


日本は侵略国家なのか

 日本の侵略戦争を非難する時、あたかも日本軍が突然落下傘で中国の本土に舞い降りたかのようなイメージがある。 ある日、突然侵略してきたという印象を植え付けられている。 自虐史観の人はもちろん、一般の人でもそういうイメージができている。 論理的な検証の結果として支那事変が侵略戦争か否かを判断しているわけではない。
 日本は侵略戦争をしたか否か、という論題において重要なことは、歴史の視点である。 歴史の教養であり知識である。 科学的な歴史観が必要である。
 冷静に歴史を分析するならば、単純に日本は侵略国家であるとは言えないはずである。 1900年の義和団事件いらい、 「北清事変最終議定書」 ( 1901年9月7日 )によって、次の表のように、英米仏独伊とともに軍隊を駐屯させていた。

出所・:全郁彦『盧溝橋嘔件の研究』( 東京人学出版会 )
 日本英国米国
1901年2,6002,5501502,6002,600900
1910年1,1497471,3671,070-85
1937年5,6001,0081,2271,823-336


欧米諸国のエゴと傲慢

   検事側は昭和3年からの日本の行動を侵略戦争として告訴した。 その理由はパリ不戦条約が昭和3年( 1928年 )に調印されたからである。
 たしかに、昭和3年以前の侵略は侵略にならないというのは、法的にそうであっても、いかにも人間の恣意的な勝手な理屈である。
 戦争に飽きた西欧諸国、世界を分割し終わった欧米の連中が、不戦条約などというものをでっちあげたのではないかとさえ思う。 世界を分割し略奪した西欧諸国が、日本のような新興国家の力を制限したようなものである。 新興国家は西欧諸国が歴史上侵略で奪い取ってきた領土や権利を奪うな侵すなというおふれである。
 昭和3年( 1928年 )以降が問題になるはずなのに、日清戦争( 明治27年・1894年 )で獲得した台湾や日露戦争( 明治37年・1904年 )で正当な権利として獲得した樺太や千島まで奪われたのは、理不尽としかいいようがない。 日清、日露の数十万人の犠牲はなんのためであったのか。
 新興国日本の領土を奪い、裁判にかけ、リーダー達を死刑にする。 西欧人とはまことに勝手なものである。 西欧人の決めた規則に従わない人間はもっともらしい理屈をつけて制裁する。 これが欧米のエゴと傲慢である。 そのエゴと傲慢は、今もなお続いているではないか。
 アメリカのイラク戦争を賛成し支持してきたが、西欧人の中心となったアメリカのエゴと傲慢には、釈然としないものがある。 頭で分かっていても、心は納得していない。 とくに、フセインのイラクとかつての大日本帝国がだぶってみえる。 傲慢なるアメリカに力で屈伏させられた60年前の日本と現代のイラクである。


明治以来の長い歴史の結果としての支那事変

   日本兵が突然、落下傘で中国人陸に舞い降りて戦争が始まったのではない。 支那事変には満州事変、満州事変には北清事変、そしてロシア革命や帝政ロシアの東アジア侵略……という風に歴史は過去から現在へと連続している。
 日本が突然戦争をはじめたわけではない。 日本が一方的に侵略者で、中国は善良なる民族国家などというわけがない。 戦争は一国でできるわけではない。 戦争には原因と理由がある。 しかし、東京裁判では、そういう歴史の流れ、日本の置かれた位置などすべてが無視された。
 評論家の黄文雄氏の中国に関する一連の文献を読むといい。 いかに中国という国家と民族が、ひとことでいうと、 「でたらめ」 であったか分かる。 法律や規範や規律がない前近代的な国家であった。 文明国家と未開拓国家の戦争である。 欧米人は、過去の中華文明の幻想に惑わされて、日本を敵視したのであろう。 野蛮な国は中国であって日本ではない。
 支那事変はこの前近代的な国家と近代化した国家日本の戦争であった。 そして、ずるずると中国のでたらめぶりに、いつの間にか引き返せない所まで、引き込まれていったというのが真相である。
 日本は中国などを相手に戦争をしたくなかった。 日本にとっての生命線は満州であり、対ソ連こそが日本の政府と陸軍の戦略であった。 それは石原莞爾をはじめとした近代的な考え方をしていた政治家や軍人の常識でもあった。
 しかし、あまりの侮日排日に対して、慢心していた一部の日本の政治家と軍人が 「暴支贋懲」 という言葉にあるように、一撃でこらしめればいいと、見くびった気持ちで戦争を始めた。 これが泥沼の戦争になった。 その上、支那事変をかかえながら、英米と戦争をするという無謀なことをした。 歴史にイフをおいてシミュレーションすると、理想的には満州建国だけにしておけばよかった。 支那事変になっても、南京戦で終わりにして、満州に引き揚げておけばよかった。


アメリカのイラク戦争と支那事変

 日本軍が突然中国を侵略したかのごとく戦後の歴史観は教える。 しかし、これは現代のアメリカのイラク戦争との類推で考えると、日本軍の行動を理解しやすい。
 アメリカ軍が自衛のために武力を発動したように、日本軍も自衛のための武力発動であった。 盧溝橋事件からの中国軍の挑発や攻撃はあきらかに日本との戦争を決意している。 しかし、この当時の日本軍は中国と本格的な戦争を決意していたわけではない。
 しかし、挑発された戦争は自衛戦争である。 とくに、上海にもっている日本の権益を守ることは当然のことであった。 当時、約3万人の日本人がいた。 この人達の生命の安全と権利を保護するのは日本としての当然の権利であった。
 戦争というのは当事者があって起きるのである。 一方が悪で一方が善であるはずがない。 戦争に善悪の価値判断をもちこむのは正しい判断をさまたげる。 戦争は政治の手段として起きるということを認識しておかねばならない。
 日本人は戦争となると、とたんに思考停止状態に陥る。 日本が絶対的に悪で中国は絶対的に善だと信じている。 そんなことはありえないというのが論理的思考というものである。
 当時の中国は国家としての体をなしていない。 なのに中華意識と気位だけが高い。 自らの大勢を反省していない。 それは現代の中国もまったく同じで、その傲慢さは変わらない。
 民度の低さは昔も今も同じである。 天安門事件やSARSでみせたように秘密主義は変わらない。 自分たちの軍拡を棚にあげて日本のありもしない軍国主義を批判する。 核兵器を保有する軍国主義こそ戦後の中国である。 朝鮮戦争、チベット侵略、ベトナムとの局地戦争、インドとの紛争など、非常に好戦的な国家である。
 南京戦で30万人も虐殺したなどという嘘を言う。 嘘とでたらめは中国人の専売特許である。 残酷なのは中国人である。 日本民族には、中国人のような残虐性はない。


南京大虐殺

「南京大虐殺」 は事実か否か

南京事件の呪縛

 検事側のいう南京大虐殺、弁護側のいう南京事件は、昭和12年12月10日からの首都南京攻略戦の結果、引き起こされた事件である。 上海事変( 昭和12年8月から11月 )で敗退した中国軍は上海の西300キロにある南京方面に逃げた。 これを追って南京攻略戦が起きたのである。
 南京事件は、東京裁判におけるもっとも有名な事件の一つである。 南京攻略戦争から66年後の今もなお日本人を呪縛している。 この呪縛からいかに解き放たれるかが大きな目的である。
 昭和12年( 1937年 )は日中戦争が始まった年である。 すなわち、①昭和12年7月7日の盧溝橋事件 → ②8月13日上海事変勃発 → ③12月10日南京攻略戦、と戦争が連鎖的に拡大していった。
 南京攻略戦は、昭和12年12月10日に開始され、同13日に完全占領声明で終了した。 戦争そのものはわずか4日間である。 事件は、南京の占領直後、日本軍による残虐行為として東京裁判で告発され、責任者の中支那方面軍の司令官松井石根大将が処刑された。 東京裁判では、検事側の証人は虐殺者数を34万人と証言した。
 南京事件( 南京大虐殺事件 )については、東京裁判での30万人虐殺説を筆頭にして、膨大な日本糾弾の言説がある。 これに対する反駁は、東中野修道『 「南京虐殺」 の徹底検証』、冨士信夫『 「南京大虐殺」 はこうして作られた』( 展転社 )、客観的な数字データの分析からの文献としては竹本忠雄・大原康男『再審 「南京大虐殺」 ( 明成社 )や北村稔『 「南京事件」 の探究』( 文春新書 )などの優れた研究と文献がある。
 ただ一ついえることは、日本人として断固として全否定しなければならないということである。 日本人の子々孫々のために妥協したり、認めたりしてはならないということだ。 57年前、日本の弁護団は、市ヶ谷の法廷で断固として否定した。 日本人ならばこの弁護団の獅子奮迅の努力の後に続かなければならないということだ。


検察側の主張
( 1 )日本人は南京において残虐非道なことをした。
( 2 )日本軍は南京陥落後に大虐殺を行なった。
( 3 )大虐殺の犠牲者は34万人である。
( 4 )日本軍によって強姦された人間は2万人以上である。
( 5 )放火、破壊、略奪は数えきれないほどである。
( 6 )歴史に残る残虐行為である。
 南京戦の最中から陥落後にかけて、日本軍による大虐殺が行なわれ、犠牲者数は34万人である。 婦人に対する強姦は2万人以上である。 略奪や放火や暴行は無数に発生した。 日本軍によって極めて残虐なる行為が行なわれた。 これらは歴史にのこる残虐行為であり許しがたい蛮行である。

弁護側の主張の主張
( 1 )南京において大虐殺などというものはなかった。
( 2 )34万人虐殺したというのは嘘である。
( 3 )陥落当時の人口が20万人であったのに34万人虐殺はありえない。
( 4 )放火、略奪、暴行は中国軍の敗残兵がやったものである。
( 5 )中国軍は歴史的伝統的に 「清野戦術」 ( 焦土戦術 )をとり、彼らが民家を焼き払った。
( 6 )日本人の文化には、耳や鼻をそぎ、腹を割き陰部に棒を突っ込むような残虐行為はない。 これは陥落後の中国の敗残兵の什業である。
 南京大虐殺というようなものはなかった。 まして30万人というのはウソである。 当時の南京の人口20万人からも不可能である。 日本軍は軍規厳正であった。 検事側の主張は伝聞証拠を中心にした、誇大な宣伝である。 とくに、人間に対する極めて残虐な行ないは、日本人の文化にはなく、中国人の歴史的伝統的な文化である。


証言の数字がでたらめである

 南京事件における特色は、虐殺数や強姦数がいい加減であり、でたらめであるということだ。 伝聞や風聞の証言を法廷で証言している。 法廷はそれを証拠として採用している。
 伝聞や風聞は誇張され針小棒大になる。 日本軍の残虐行為を告発しようとして、ありもしないことをあげつらった証言である。 中国人の白髪三千丈式の誇張が輪をかけている。 近代的な数字感覚、科学的な観念のとぼしい中国人が好き勝手を証言したという面を否定できない。
 「日本兵があっちで殺し、こっちで虐殺した、残虐行為があった、あった」 「ここでやった、あそこで見た」 という証言は人の耳に入りやすい。 「講釈師見てきたようなウソを言い」 ということである。 こういうような伝聞、風聞、見てきたような嘘を反駁するのは困難である。 「無かったこと」 を証明するのはむつかしい。
 こういう誇張された伝聞の証言が、最初の検察側立証で、これでもかこれでもかと展開された。 しかも、東京裁判が始まったばかりで、世界が注目している時期である。 こういうスキャンダルは一人歩きする。
 これが弁護側・日本側にとって不利に働いた。 検事側立証がおわり、弁護側の立証で反駁しようとしても、いったん植えつけられた残虐なイメージはぬぐいがたい。 日本による南京大虐殺はこうして作られた。 それが57年後もまだ一人歩きしている。
 この問題は、日本人として、子孫に責任をもつ日本人として、徹底的に反駁し、日本人の名誉を回復しておく必要がある。 こういう不名誉な濡れ衣があるかぎり、次世代の若者が日本の未来に希望をもてない。 中国は、日本弱体化の戦略として、南京事件を積極的に使っている。 日本対策のために南京事件は絶好の事例なのである。


子孫に責任をもつ
  一人の日本人として
    政治的、論理的に全否定する


 南京大虐殺を、子孫に責任をもつ人間として親として、人間として 「全否定」 する。 これは政治的な否定といってもいい。 論理的にも否定したいが、肯定側とくに中国は、現時点では聞く耳をもたない。 聞く耳をもたない相手、とくに政治的に大虐殺を肯定し、日本を弾劾する手段としている相手には論理は通用しない。 むしろ、日本側も徹底的に政治的に否定する必要がある。
 政治的に否定するという視点は、誰も主張していない。 政治的に否定するというのは戦略的判断である。
 政治的に弾劾する相手には政治的に反駁するしかない。


日本人を告発する目的は何か

 南京事件は、現在もなお多くの学者、研究者によって研究されている。 新しい発見や知見もたくさんでている。 現在では、南京事件については、次のように分類する人が多い。
 第一は、肯定派・南京大虐殺派である。 左翼陣営に多く自虐史観を信奉する人達である。
 第二は、否定派である。 「まぼろし派」 という。 鈴水明氏の著書『南京人虐殺のまぼろし』が名称の由来である。
 第三は、中間派である。 30万人のような大虐殺は否定するが小虐殺を否定しない。
 理解できないのは、肯定派である。 本多勝一、洞富雄、笠原十九司、吉田裕などである。
 彼らは、これでもかこれでもかと、日本軍の行為を告発してきた。 一見、公平であり正義にもとづいているように今まではみえていた。 戦後の民主主義とともに、彼らの行為は正義のごとくもてはやされた。
 しかし、彼らの告発行為が、民族としての日本人全体の名誉と尊厳を歴史を越えて未来永劫まで、いちじるしく傷つけるようになると、これは単なる正義の問題、まして個人の正義感の問題では済まなくなる。 まして、中国の政治的野望に利用され、日本の国益を回復不能なまで害するようになると、ことは重大である。 もちろん、彼らが中国のスパイか手先として太鼓持ちをしているのであれば腑に落ちる話であるが。
 日本人にとって未来永劫にわたって不利益をもたらすものならば、南京における虐殺は断固として否定しなければならない。 すべては国家と民族という視点である。
 南京事件に関して、中国との不毛の対立から和解に進むことが、不可能な段階になっている現在、善意や正義感や感傷的な虐殺肯定は、取り返しのつかない損害を未来永劫にわたって日本にもたらす危険がある。


日本は政治的に大虐殺を否定すべし

 中国は政治的に南京事件をとらえている。 しかし、日本人は研究対象として科学的に検証し、それだけで中国と対決しようとしている。 南京虐殺を政治的に肯定している中国人に、南京事件の科学的な検証や論理だけでは通用しない。 日本人はこのことに気がつくべきである。 日本は科学的論理的な否定とともに、今後は政治的にも否定する必要がある。
 科学的にいくら否定しても、中国人は絶対に納得しない。 ますます政治的になるか感情的に反発するだけで不毛の論争になるだけである。
 中国が政治的に南京人虐殺を肯定するならば、日本は政治的に否定しなければならない。 政治の舞台での論争ならば、政治的に否定しなければならない。 これは原爆投下について、被害をいくら言いつのっても、アメリカは政治的に否定していることと同じである。 「太平洋戦争の終結を早めるためにやむをえざるものであった」 というアメリカの主張はきわめて政治的な結論である。 被害者数や残虐性をいいつのる土俵にはのぼってこない。
 南京事件についても同じである。 日本は政治的発言をしなければならない。 もし、それで一時的に国交が断絶しようとも、未来永劫の日本の国益を考えたならば、政治的に否定するのが国益にかなう。 これか戦略的判断である。
 我々は、北京詣でをして中国人に謝罪する日本の政治家のリップサービスの犠牲になってはならない。 まして、子々孫々を知能指数の低い政治家の犠牲にするなど言語道断である。 政治家は、過去の歴史ではなく、日本の未来の歴史にこそ責任をもたなければならない。
 過去の歴史への無責任なリップサービスは、日本の未来の歴史に取り返しのつかない害毒をもたらす。 戦略的思考のかけらもない知能指数の低い日本の政治家たち、臆病で腰抜けな政治家たち、彼らには総退場してもらうほかはない。
 南京大虐殺を言いつのり、記念館を建てて日本を非難する中国へ、断固たる抗議ができない連中が政治を語る資格などまったくない。 南京攻略戦で戦死した勇敢な日本兵に対して顔向けができるのか。
 中国からの非難に対して、現状では断固として反駁する必要がある。 日本が謝罪して中国が納得し矛を収めるきざしがない。 共産主義独裁政権が続くかぎり、この事態は変わらない。 ならば、日本の子々孫々を守るために断固として謝罪を拒否し、徹底的に反駁する必要がある。  アメリカなどの自由民主主義の国ならば、お互いを認めあうことができる。 しかし、中国は、国内の不満を対日にすり替えることを国家ぐるみでやっている。 反日の施設や展示やキャンペーンは、この国が日本を見通しうるかぎり、敵対するという意思表示とみなければならない。 だいいち核ミサイルの照準を日本に合わせている国と、自由主義諸国と同じような友好などありえない。 中国は、仮想敵国として、厳重なる警戒の中での友好しかない。


南京攻略戦は父祖たちの誇るべき歴史である

 南京攻略戦は日本民族として恥すべき行為ではない。 恥ずべきは中国軍である。 首都を防衛できず、軍服を脱ぎ捨てて逃亡するという軍隊としてあるまじき行為である。
 強い軍隊とは徹底的に敵を圧倒殲滅するものである。 敵を圧倒殲滅するからこそ強い軍隊なのである。 強い軍隊は誇りにこそすれ何のやましいこともない。 イラク戦争での強いアメリカ軍と同じで、自国民の誇りである。
 日本人は、我等の父祖たちの雄々しい戦いの跡、世界に冠たる強い軍隊をもっていたという歴史の事実を誇りにすべきである。 このことと南京攻略戦での犠牲者の問題は別である。 日本軍も多くの損害を出した。 上海戦以後、1万人以上の戦死者を出している。 松井司令官は熱海に興亜観音をつくり、日中両軍の戦死者の霊を弔っている。 まことに武士道精神にもとづく振る舞いである。


日本が衰退しているほんとうの理由

 南京攻略戦では日中に多くの犠牲者がでた。 しかし、その後の対応がちがう。 中国は英雄として祭っている。 日本は戦死者の屍に笞をうち足蹴にしたままである。
 国家を死をもって守った人間をないがしろにしている国に未来はない。 国家は衰退に向かうしかない。 もし、日本が衰退しているとするならば、その原因は不況ではなく、日本のために黙って死んでいった犠牲者をないがしろにしたせいである。 歴史をないがしろにするものは、歴史からしっぺ返しをうける。 今、日本はそのしっぺ返しを受けているのかもしれない。
 南京事件は謝罪してすむという問題ではない。 日本民族の未来がかかっている重大なるテーマであり、全否定で戦うことが重要である。 感傷的な反戦感覚では子々孫々に重大な損害を与えることを自覚したほうがよい。


太平洋戦争

「太平洋戦争は日本の侵略戦争であったか否か」

 大東亜戦争( 太平洋戦争 )は 「日本の侵略戦争であった」 というのが検事側の告訴の理由である。 すでに満州事変からはじまって支那事変、南京事件と検討してきたように、ことごとく日本が侵略者として断罪されている。
 昭和3年から日本は侵略戦争を 「計画し準備し開始し遂行した」 というのである。 なんでもかんでも日本が侵略者というのである。 この計画し準備し開始し遂行したというのは告訴状に書いてある表現である。 これでもかこれでもかというしつこい文章表現である。
 しかし、はたして大東亜戦争は日本によるアメリカヘの侵略戦争だったのか。 しかも、昭和3年から東條英機大将以下の28人が共同謀議にもとづいて計画的行なった侵略戦争だったと告訴されたのである。


戦争は論理的必然だった

 結論をいうと、大東亜戦争は歴史上の論理的必然であったと考えている。 明治維新で近代的な国家へ脱皮した日本は、アジアを植民地支配していた欧米諸国と衝突する必然があった。 イギリスと中国大陸で、アメリカとは満州や東南アジアにおいて、ロシアとは満州や蒙古で利害が激突する宿命だった。
 遅れてきた日本とすでに植民地分割を終えた欧米諸国との衝突である。 とりわけ、ロシアとアメリカはアジアに関してはイギリスやオランダやフランスよりは、遅れてきた国家であった。 ゆえに、日本と激しく利害が対立した。
 とくに、アジアの新興国日本とアジア太平洋の覇権を握ろうとするアメリカとの衝突は論理的な必然であった。 起こるべくして起きた。 そして、国力と軍事力に勝ったアメリカが勝利したにすぎない。 侵略戦争などというのは、検事側の連合国にこそ、投げ返してやるべき言葉である。
 ゆえに、軍事法廷を開き戦争犯罪として敗者日本を裁くのは間違いである。 負けた上に、さらに裁かれるとは二重の敗戦であり、理不尽というものである。

検察側の主張
「太平洋戦争は日本の侵略戦争である」
( 1 )日本は、ハーグ条約、国際連盟規約、9ヵ国条約、パリ不戦条約など、戦争に関する多くの条約・規約などの国際法違反を行なった。
( 2 )日本は満州を侵略し傀儡政府をつくった。
( 3 )日本は中国を侵略した。
( 4 )日米交渉はアジアと太平洋への侵略のための時間稼ぎと駆け引きにすぎなかった。 その間、日本は戦争準備を行なっていた。
( 5 )南部仏印進駐で日本は南方への侵略を開始した。
( 6 )真珠湾攻撃は宣戦布告なしのハーグ条約違反の卑劣なだまし討ちである。

弁護側の主張
「日本は自存自衛のために立ち上がった。 侵略戦争ではない」
( 1 )日本の戦争は自存自衛のためのやむを得ないものであった。
( 2 )満州、中国大陸、南方、太平洋への進出は日本の自存自衛のためである。
( 3 )日本は対米交渉にすべてをかけていたのに、ハルノートによって交渉を絶たれた。
( 4 )日本は、在米資産凍結、鉄、石油の禁輸など不当な経済制裁を受け、戦争を決意せざるを得ない窮地においこまれた。
( 5 )真珠湾攻撃はだまし討ちではない。 わずかの通告の遅れは本質的な問題ではなく日本はきちんと宣戦布告をした。

日米交渉とは何か
  日本の運命を決めたもの


 日米の衝突は避けられなかったのか。 なぜ、起きたのか。 アメリカは、一方的な日本の侵略戦争という論理で東京裁判をすすめた。 非はすべて日本にあるという論理である。
 中国をめぐって険悪になっていた日米が8ヵ月にわたって交渉した昭和16年は、今ふりかえると歴史的な年であった。 歴史にイフをおくとすると、日米交渉がまとまっていれば、その後の歴史はまったく違う展開になっていただろう。
 日米交渉とは、昭和16年4月16日の 「日米了解案」 を実質的なスタートとして、11月26日にハルノートをつきつけられて開戦決意するまでの期間である。 真珠湾攻撃までとしてもいい。
 満州事変、支那事変とつづく大陸での日中間の戦争の拡大とともに、中国を支援するアメリカとの間が険悪になってきた。 イギリスやフランスなどに比べて遅れてきた帝国主義国家アメリカは、自国の東部から西部そしてハワイ、フィリピンと西進してきた。
 そして、ゆきつく先は中国であり、そこには新興の日本がいた。 これが日米衝突の歴史的な背景である。 アメリカは中国に対して権益を獲得しようとしたけれども、すでに日本が満州帝国をつくり中国大陸にも進出していた。
 イギリスはアジアにおいてインドや香港を植民地とし、フランスはインドシナ半島、オランダはインドネシア諸島、アメリカは資源のないフィリピンだけである。 中国へ食指を動かすのは帝国主義国家アメリカの必然的な行動である。 遅れてきたのは日米である。
 以上のような背景をもとに、日米交渉は、アメリカの高官ウォーカー郵政大臣からの密命をおびたウォルシュとドラウトという二人の神父の来日からはじまった。 ウォーカーはルーズベルト大統領の選挙参謀をつとめたことのある人物であった。
 二人の神父は日本側の元大蔵官僚の井川忠雄、元ブラジル大使沢田節蔵への紹介状をもって来日した。 二人の神父は井川や沢田の紹介で日本側の要人と会った。 松岡外務大臣とも会見している。 二人の神父が帰国したあと、井川が渡米し、ドラウト神父と日米交渉の案の作成に入った。 これが 「原則的協定案」 であった。 この案をたたき台にして出来上がったものが 「日米 了解案」 であった。 日本の野村大使もハル国務長官も、この案をもって糸口にすることにした。 これが困難な日米交渉の始まりである。


日米交渉からの教訓

 太平洋戦争開戦の年、昭和16年の日米交渉の跡をたどると、様々なことがわかる。
 第一は、少なくとも日本は日米交渉妥結にむかって一所懸命に努力している。 戦後、軍部の好戦的な面が強調され開戦に進んだように思われているが、必ずしもそうではない。 軍人であるゆえに、アメリカという国の実力を十分に知っていたといえる。
 第二は、ハル四原則に代表されるように、アメリカの対日姿勢は最初から変わっていないことである。 日本に対して強い姿勢で交渉している。
 第三は、アメリカは、交渉以前の問題として、日本に対する不信感をずっともっていた。 日本を信用していなかったようである。 背景には、満州事変、支那事変などにおける日本の行動がある。
 第四は、当時のアメリカは日本よりも中国に対して親近感をもっていた。 すでに、中国には対日戦のための経済、軍事の援助を与えていた。 当然、その中国に攻め込んでいる日本に対してはきびしかった。
 第五は、三国同盟は日本にとって致命的な問題になった。 とくに英国と戦争しているドイツの同盟国である日本は、アメリカにとって敵対国となる。 米英はアングロサクソンの兄弟のような国家同士である。
 第六は、アメリカは共産主義の脅威に対して甘い。 共産主義に対して日本やドイツのような危機感をもっていなかった。 これは戦後すぐに冷戦に直面し、アメリカはツケを払わされることになる。
 第七は、真珠湾攻撃は、日米の直接の戦争であるが、これは軍事的な問題である。 だまし討ちか否かというのは戦術的な問題である。
 第八は、日米ともに日米交渉の途中から戦争を予想していた。 日本の侵略戦争が問題になっているが、アメリカの好戦性も相当強い。
 第九は、日本は南部仏印進駐を軽く考えた。 南部に進駐したぐらいでアメリカヘの脅威とはならないと考えていた。 しかし、アメリカは日本の侵略行為とみた。 中国大陸から東南アジアヘとつづく日本の侵略である。 フィリピンヘの脅威でもある。 この認識ギャップは大変大きい。
 第十は、アメリカは日本の軍事力や経済力を軽視していた。 日本は締めつければ妥協するか屈伏すると誤解していたようである。 ようするに、日本の当時の実力を正しく把捉していなかった。
 第十一は、ハルノートはアメリカの最後通告だったのか否かである。 日本としてはもっと交渉の余地があったのではないか。
 第十二は、アメリカが日米交渉のほとんどすべての情報を事前に知っていたということである。 暗号を解読し内容を知っていた。 7月2日の御前会議の 「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」 も内容をつかんでいた。
 もちろん、甲案、乙案も知っていた。 日本側の交渉案を知っているくせに、知らない顔をして交渉するアメリカはしたたかである。 日本側の野村大使などは純情そのものである。 しかし、これが国家間の交渉というものである。 この大きな代償をはらって、現代の日本の外交はどうか。 何も学習していないようである。


原爆問題と戦争犯罪

アメリカの戦争犯罪

 戦争とは残虐なものである。
 東京裁判において、被告は、 「通例の戦争犯罪」 でも裁かれた。 そのために死刑になった人もいる。
 また、戦後各国で聞かれた、通例の戦争犯非を裁くBC級裁判では、984名が死刑判決を受け、934名が処刑された。 これは歴史に詳しい人にとっては常識であるが、一般の日本人はほとんど知らない。
 戦争の結果、東京裁判で7人が刑死しただけではない。 BC級では、病死、獄中死をいれると、1千名以上が犠牲となっている。 この問題については日本人はもっと重く受けとめる必要がある。
 たとえば、南京攻略戦での百人斬り競争という虚構の話で二人の日本人が無実の罪で処刑されている。 日本刀で百人もの人間を斬ることは不可能である。 しかし、敗戦のどさくさの中で、現地の国民の復讐の感情の中で多くの日本人が処刑された。
 東京裁判では日本軍による残虐行為がきびしく非難された。 しかし、戦争とは人殺しを国家ぐるみで行なうことである。 合法的な殺人行為でもある。 戦争という行為そのものが残虐な行為なのである。
 だからこそ、残虐行為は日本軍だけが行なったものではないということが想像できる。 そのように想像することを論理的思考というのである。 日本軍に残虐行為があったならば、連合国にも残虐行為があったと考えるのが常識である。 ゆえに、日本軍の残虐行為を裁くならば、連合国の残虐行為を裁かなければ不公平であり不正義である。
 アメリカ軍の原爆投下や無差別爆撃はきわめて残虐な戦争犯罪になる。 アメリカの戦争犯罪が不問で、日本の戦争犯罪のみが問題になるのはおかしいと考えるのが論理的思考というものである。


ブレイクニー弁護士の原爆発言

 東京裁判で活躍したアメリカ人弁護士の中で、もっとも有名な人がベン・ブルース・ブレイクニーである。 とくに、アメリカの原爆投下を弾劾したことで、東京裁判の中で燦然と輝いている。 日本人にとっては永遠に記憶しておかねばならない人である。
 ブレイクニーは原爆発言だけでなく、日米交渉問題の反対尋問において、証言台にのぼった国務省のバランタイン証人をきびしく追及した。 あるいは、裁判冒頭の管轄権問題でもすばらしい論理を展開した。
 原爆発言は、この管轄権について清瀬一郎が動議を提出し、裁判長、検事、弁護士が入り乱れて討議している2日目の5月14日に、飛び出したのである。 ブレイクニーは次のように発言をしている。

ブレイクニー弁護士 : 戦争は犯罪ではないということです。 国際法において戦争に関する法規があるのは、すなわち、そのまま戦争は合法のものであるということの証拠であります…
 …( 途中省略 )…
 歴史をさかのぼって考えてみましても、戦争を計画しもしくはこれを遂行したという行為が、かつて法廷においてこれを犯罪として審判されたことはないのであります……

 ブレイクニーの管轄権に関する格調高い弁論が続いている最中、突然通訳が停正した。 速記録には( 以下通訳なし )となっており、ウェブ裁判長の 「15分間休憩します」 という発言が記録されている。
 この日本語の速記録がない部分以降が原爆発言なのである。 もちろん、これはずっと後になって東京裁判の記録映画が公開されて、ブレイクニーの発言内容が一般に明らかになった。 当時、法廷にいた人でも英語によほど堪能でないと何が発言されたのか全く分からなかった。 当時、法廷にいた冨士信夫氏も36年後に記録映画で知ったそうである。
 それは次のように言っている。

ブレイクニー弁護士 : 国家の行為である戦争の個人責任を問うのは法律的に誤りである。 なぜならば、国際法は国家に対して適用されるのであって個人に対してではない。 個人による戦争行為という新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである。
 戦争での殺人は罪にならない。 それは殺人罪ではない。 戦争は合法的だからです。 つまり合法的な人殺しなのです。 殺人行為の正当化です。 たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としての責任は問われなかったのです。
 キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺大罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名をあげることができる投下を計画した参謀長の名も承知しているその国の元首の名前も、我々は承知している彼等は殺人罪を意識していたかしてはいまい我々もそう思うそれは彼等の戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。  何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違法なのか原爆を投下した者がいるこの投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいるその者たちが裁いているのだ。 …と。
 通訳が停止しだのは、あきらかにブレイクニーの原爆発言が原因である。 日本の戦争を犯罪として裁こうとしている連合国、とくに主役のアメリカが、人類がいまだかつて経験したことがない残虐なる兵器、原爆を投下したのである。
 これは裁判を運営する連合国としてはまずいと思ったのであろう。 法廷は言論が自由なる場所である。 しかも、皮肉なことに占領軍による言論の検閲が徹底していた当時の日本でたった一ヵ所、言論の自由が保証されていた空間があったのである。
 アメリカ人弁護士の発言を禁止するわけにもいかず、とっさに日本語への通訳を停止させたのであろう。 やはり原爆投下は連合国、アメリカにとってやましいものがあったという証明である。


日本だけが戦争犯罪者なのか

戦争は合法的な人殺しである

 ブレイクニーがいうように、戦争は合法的な人殺しである。 人殺しを合法化している。 国際法はその人殺しを認めていることになる。 戦争法規があるということは絶対的に禁止しているのではない。 したがって、戦争法規の中で人殺しが認められていることになる。
 ゆえに、日本の戦争が悪で、連合国の戦争が善である、というのは論理的におかしいのである。 日本の戦争の結果としての人殺しが犯罪で、連合国の人殺しが犯罪ではないというのはおかしいのである。
 日本の戦争犯罪を裁くならば、連合国の戦争犯罪を裁かないと不公平であり不正義である。 この根本的な疑問がある。
 南京攻略戦での戦争にともなう殺戮と中国軍が日本軍に加えた殺戮と、どっちが悪であるかというのは無意味である。 同じく、南京戦における民間人の犠牲と原爆投下の非戦闘員の犠牲はどちらが悪であるかというのも無意味である。
 人間の生命を至上のものとするならば、どちらも悪であるからだ。 しかし、戦争が合法とするならば、どちらも合法なのである。 だから、アメリカは原爆投下を違法としていない。 もちろん謝罪もしていない。 第一その前に、原爆投下は戦争犯罪として裁かれていない。
 これが不公平のはじまりである。 勝てば官軍である。 東京裁判が勝者による復讐劇であったというのはその通りである。


連合国の戦争犯罪

 日本の戦争が犯罪ならば連合国にも戦争犯罪はたくさんある。
 日本の居留民230名が虐殺された通州事件は戦争犯罪である。 南京戦での戦闘中での殺戮が問題ならば、同じ南京をめぐる攻防戦での中国軍による日本兵への攻撃も殺戮である。 日本軍も大きな損害をだしている。 上海戦から南京戦までに約5万人の日本兵が戦死戦傷している。 大東亜戦争の全期間であれば、中国大陸で40~50万人が戦死している。 戦傷ならばその数倍になるだろう。 戦争中の日本は陸海軍そして民間人をあわせて300万人が死んでいる。
 中国の犠牲者がもっと多いのは知っている。 それは軍事力の違いであって、やむを得ないのである。 日本を非難する理由にはならない。 アメリカ軍の損害が日本にくらべて比較にならないほど少ないことと同じである。 結局は、アメリカと日本の軍事力の違いである。 弱いほうが犠牲者が多いのである。
 最近のイラク戦争もまったく同じである。 戦争における自分たちの軍事力の弱さを、靖国神社問題、軍国主義批判など、ありとあらゆる面で、日本非難にすり替えているのが中国である。 しかも、中国は軍事的に日本を降伏させたのではないことに彼等のトラウマがある。 日本が負けたのはアメリカであって中国ではないということだ。 これが反日トラウマの根本原因である。


イラク戦争、勝てば官軍

 ひるがえって、最近のイラク戦争を考えてみたい。
 アメリカの大東亜戦争における態度とイラク戦争における態度はまったく同じである。 アメリカはまったく変わっていない。 正義は我にありをふりかざしている。 勝てば官軍である。
 イラク戦争に賛成する。 とりわけ、対北朝鮮対策としてのイラク戦争に賛成する。 イラクを叩くことは北朝鮮を叩くことにつながるから賛成である。 北朝鮮の脅威や中国の脅威を減らす意味でイラク戦争は日本にとって大成功だった。
 アメリカの勝利のおかげで、北朝鮮に対しても、防衛ができるという安心感が日本の中に生まれた。 アメリカと共同すれば、北朝鮮も怖くないということである。 中国の対日本への態度も変化しているように思う。 あの傲慢な態度が弱まったようにみえる。 イラク戦争を通じて、日米同盟の強さを中国に見せつけた効果である。
 この効果をさらに高めるには、そして、日米同盟を対等なものにするには、日本側の軍事的な努力が必要である。 リップサービスやお金や軍艦に給油するだけのサービスではアメリカと対等にはならない。 英国やオーストラリアと同じように血を流してはじめて対等になるだろう。 観念的、空想的な平和主義からいいかげん卒業することである。
 日本もイギリス並に血を流すことができることをアメリカに見せることである。 そして、はじめて日本とアメリカは対等に近づく。 対等に近づくことは、アメリカにモノがいえるということだ。 その代表的なモノ言いが、東京裁判における日本の名誉回復をアメリカにたのむことである。


日本の名誉回復

 東京裁判について、アメリカに全面的に破棄や取消しをもとめるものではない。 そんなことは現実的に不可能だろう。 しかし日本の名誉を回復させることはできる。
 その方法は簡単である。 アメリカ大統領に、非公式でもいいから、 「判決については、いまさらくつがえすことはできないが、東京裁判には大きな誤りがあった。 連合国にも不手際があった」 と語らせることである。
 「細かなことは知らないが、日本は東京裁判に縛られる必要はない」 と喋らせることである。 その上で靖国神社に参拝してもらうと完璧である。 中国や韓国から文句が出なくなるだろう。
 なぜ名誉回復が必要か。 アメリカに対して名誉回復を語らせる理由は次の通りである。
 第一は、日本は東京裁判に縛られているから、軍事力を保持できず、アメリカの同盟国として血を流すことができない。 すべては東京裁判に原因がある。 日本をアメリカの太平洋における英国のような同間皿国にするためにも、東京裁判の誤りに言及してもらいたいと説得することである。
 第二は、テロ輸出国家の北朝鮮への封じ込めのために、アメリカは日本の軍事力の強化が必要である。 しかし、アメリカヘの協力ができないのは、軍事力の保持を禁止している憲法があるからであり、それを根底から支えているのが東京裁判である。
 アメリカヘのテロの温床となる北朝鮮対策のためにも、日本の軍事力の封印を解かなければならない。 その封印の原因が東京裁判である。 すべては東京截判にゆきつくのである。
 第三は、対中国対策としての日本の位置づけである。 これもまったく同じである。 日本がいつまでも、靖国神社に代表される中国の呪縛に縛られているのは東京裁判に原因がある。 中国は東京裁判を絶対視し、日本を屈服させる政治の手段として利用している。
 日本が中国の軍門に屈しないためにも東京裁判の呪縛を解く必要がある。 中国は、共産主義独裁国家であり、アメリカとは相いれない思想と哲学の国家である。 アメリカの太平洋における真の同盟国は日本である。 その日本が名実共に軍事的に同盟国になるためにも、日本の軍事力を縛っている中国の干渉とそれをささえる東京裁判からの解放が必要である。


1000名が刑死したBC級戦犯
  敗戦という悔しさ


 A級戦犯とは、( 1 )平和に対する罪、( 2 )人道に対する罪、( 3 )通例の戦争犯罪の三つの罪で起訴 された人である。
 BC級戦争犯罪にはさまざまな解釈がある。 B級が人道に対する罪、C級が通例の戦争犯罪。 あるいは、B級が残虐行為を命令した者、C級が実行した者という区別もある。 実際はその区別が困難であり、通例の戦争犯罪を行なった者として裁かれた。
 A級戦争犯罪の東京裁判に注目が集まるが、オーストラリア、インドネシア、ビルマ、インドシナ、香港、南京、北京など中国各地で行なわれたBC級裁判も、大きな問題を秘めている。 死刑になった人の数は、東京裁判が7人であるが、BC級では、記録によって異なるが900~1000名である。 自殺や獄死や病死をいれると1OOO名を優に越す。
 無実の罪で死んだ人も多い。 いいかげんな証言で罪をかぶせられ死んでいった人も多い。 東京裁判が勝者による復讐というが、このBC級裁判などは典型的な復讐である。 裁判に名を借りたリンチといってもいいぐらいである。
 つくづくと戦争に負けることはいけないことだと思った。 戦争は勝たないといけない。 東條英機大将が宣誓供述書で、戦争そのものは国際法に違反しない自衛戦争だった。 しかし、敗戦の責任は総理人臣だった私の責任であり、この責任を心から進んで負うと言っている。
 遺書にもこう書いている。

 開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると断腸の思いがします。 今回の刑死は個人的には慰められておりますが、国内的には自らの責任は死をもって償えるものではありません。 しかし、国際的にこれを見れば犯罪としては無罪を主張しました。 今も同感です。

 東條英機大将の供述書や遺書には、戦争に負けたことの無念さがある。 当時の多くの日本人にもあった。 子供の頃、まだ兵隊としてあの戦争を戦った世代が多かった。 異口同音に悔しさを述べていたことを覚えている。 8月15日、皇居前の広場で、多くの日本人が正座して涙を流した。
 こういう感覚は現代の日本人には想像できないことである。 しかし、こういう悔しさがもとで戦後の復興をなしとげたのである。 しかし、この世代の引退とともに、敗戦の悔しさは消えていった。 敗戦の悔しさを知らない戦後世代が中心になるとともに、日本は停滞と哀退に向かいはじめたようである。

 南京事件で百人斬りの冤罪を背負って刑死した向井少尉と野田少尉の遺書である。
 ( 巣鴨遺書編纂会『世紀の遺書』( 講談社 ) )
 この本は戦犯として刑死した人のうち約700人の遺書を集めたものである。 人が死に臨んでの文である。 感動的であり、同時に、胸にせまるものがある。 こういう文章をほんとうの意味で名文というのだろう。
 この本について、作家の火野草平は日本人必読の書と言っている。 元文部大臣・朝日新聞論説委員の永井道雄は、第二次大戦後、私か読んだすべての本のなかで、もっとも深く教えられ、そして感動の昂まりを抑えることに苦しんだ本、と書いている。

●向井敏明少尉の遺書( 昭和23年1月28日、南京において銃殺刑 )
 我は天地神明に誓い、捕虜住民を殺害せること全然なし。 南京虐殺の罪は絶対に受けません。 死は天命と思い、日本男子としてりっぱに中国の土となります。 しかれども、魂は大八洲島に帰ります。 我が死をもって、中国抗戦8年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨て石となり幸いです。
 中国の御奮闘を祈る
 日本の敢奮を祈る
 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳
 死して護国の鬼となります。 12月31日10時記す 向井敏明

●野田毅少尉の遺書( 昭和23年1月28日、広東において銃殺刑 )
 捕虜、非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受けできません。 お断り致します。 死を賜りましたことについては天なりと観じ命なりとあきらめ、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せいたします。
 今後は、我々を最後として我々の生命をもって残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられんことをお願いいたします。
 宣伝や政策的意味をもって死刑を判決したり、面目をもって感情的に判決したり、あるいは、抗戦8年の恨みをはらさんがため、一方的裁判をしたりなされないよう祈願いたします。
 我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても、貴国をうらむものではありません。 我々の死が中国と日本のくさびとなり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。 何とぞ我々の死を犬死、徒死たらしめないよう、これだけを祈願いたします。 中国万歳 日本万歳 天皇陛下万歳   野田 毅

 戦争とはまことに残酷であり、敗戦と戦犯裁判とはまことに理不尽である。 そこに論理も正義も通用しない。 あるものは人間の復讐心だけである。
 ただ、こういう遺書を読んで、日本人のいさぎよさというものに感動した。 冤罪を背負って理不尽なる死に直面したけれども、日本人の人間としての大きさを、これらの遺書から読み解くことができた。 精神性において、死刑に処せられた人達の方が、裁いた者よりも高貴である。
 こういういさぎよい日本人の死を伝えてゆくことが、後世の我々日本人の役割であると思う。

 いまさらに敗る身惜しとは思わねど心にかかる国のゆくすえ
 前田三郎 石川県出身 日本大学経済学部卒 海軍予備学生 海軍中尉
 昭和22年9月26日広東にあいて銃殺刑 28歳


戦争は犯罪なのか

根本的な疑問・本質的な問題点

( 1 ) 第一は、根本的な問題として、 「戦争は犯罪なのか」 というぬぐいがたい疑問がある。 国家間で戦われる戦争は 「勝つか負けるか引き分けるか」 である。 戦争そのもので決着をつけるのである。 戦争が決着の最終の方法であり手段である。
 引分けは双方の痛み分けである。 しかし、勝つか負けるかは、一方が勝つと他方は負けである。 負けた方は大損害である。 勝った方は、古代ならば皆殺し、近代ならば賠償金や領土などの 「戦利品」 を獲得して終わる。
 勝者が敗者を告発し犯罪とするならば、戦争を戦う意味がない。 戦争で決着するという最終の目的が霧散する。 戦争は最終手段であって、事後の戦犯としての告発と裁きは、戦争の継続になってしまう。 しかも、形をかえた一方的な断罪になってしまう。
( 2 ) 第二は、第一から論理的に出てくる疑問であるが、国家間で戦われた戦争において、戦勝国が敗戦国を裁くということそのものに問題がある。
 有史いらい、国家間で戦争は無数に行なわれた。 古い時代は勝った方が皆殺しにして領土を占領した。 しかし、近代に入ってからの戦争には、そういう一方的な野蛮な行為はない。 戦争の結果は、賠償金や領土の割譲で一件落着である。 まして、勝者が敗者を法廷で裁くということはない。
 ということは、東京裁判は、裁判という形式を踏まえているが、古代の戦争に似ているのである。 勝者が敗者を法廷に立たせて死刑や有期刑にし、占領し、国家のすべての機構を解体したのである。 これは文明という名の野蛮である。 勝者が敗者を徹底的に解体した古い時代の戦争への回帰である。
( 3 ) 第三は、国家間の戦争を個人の責任に帰せしめたことに問題がある。
 これも第一、第二から論理的に導かれるものである。 東大教授英米法の権威、東京裁判の弁護士高柳賢三博士は『極東裁判と国際法』の冒頭で 「侵略戦争は個人の責任をともなう犯罪であるというテーゼを私は否定する」 と書いている。 これは法廷で朗読したものを出版した本である。
 国家の戦争を個人が責任を負うべきものであるか疑問である。 これは、古い時代の戦争において、敵将や敵国人を捕まえ処刑することと同じである。 裁判という形式をとっても敵将たる日本のリーダーを死刑にしたことは、古代と同じである。 これは野蛮としか言いようがない。
 キーナン首席検事は 「文明の断固たる闘争」 と大見得をきったけれども、実態はまことに野蛮であった。 古代の戦争のように、敗戦と同時に首をはねるよりも、2年6ヵ月も晒し者にし、最後は絞首刑にした連合国の方がはるかに残酷ではないのか。

侵略戦争とは何か

 日本は、( 1 )平和に対する罪、( 2 )殺人、( 3 )通例の戦争犯罪及び人道に対する罪、という三つの罪状で起訴された。 平和に対する罪というのは侵略戦争の罪である。 殺人はまさに殺人罪である。 通例の戦争犯罪とは戦時国際法にある戦争法規違反の罪である。 人道に対する罪とは殺戮や虐待や暴行など非人道的行為の罪である。
 問題なのは平和に対する罪すなわち侵略戦争の罪である。 目本の戦争が侵略戦争であり、必然的に連合国の戦争は侵略戦争ではないという論理に疑問がある。
 侵略戦争とは何か。 これはディベートでいう定義問題である。 侵略戦争の定義である。 一般的な定義は 「挑発されざる戦争」 となっている。 一方的に戦争をしかけるということである。
 しかし、世界の戦争の歴史をみると、戦争には原因があり理由がある。 出会い頭の交通事故ではない。 特に近代では、誰かが突然、見知らぬ通行人を襲うように、国家が戦争をしかけることはありえない。
 突然襲う人は覚醒剤などで狂った人である。 正常人ならば嫉妬や怨恨などの理由がある。 狂人国家ならばいざしらず、国家、まして近代の国家が、突然戦争を起こして襲いかかることはありえない。 必ず戦争にいたる原因と理由がある。 ゆえに、日本の戦争を一方的に侵略戦争と断罪するのはおかしいと考えるのが理性であり論理的思考というものである。 目本に無罪の判決をしたパール判事は、まさに理性ある人であった。 論理的思考力のある名判事だった。
 たとえば、満州事変や支那事変なども、単純な侵略戦争論で片づけることができるのか。 日本と中国大陸には、義和団事件、日清戦争、日露戦争、共産主義の脅威と浸透、アメリカの進出と経済競争、中国白身の政治、経済、社会の疲弊と混乱、統一国家へいたる共産党と国民党の内戦などなど、あらゆる戦争の原因と理由が充満していた。
 しかも日本のみが中国に関係していたのではない。 アメリカもイギリスもドイツもフランスもソ連も、列国が深く浅くそれぞれの利害にもとづいて、中国に関係していた。
 そして、隣国であり、利害関係の大きかった日本がずるずると関係を深め、戦争になっていった。 覚醒剤の狂人が突然襲いかかるように、中国に襲いかかったのではない。 長い歴史的な背景がある。 一方的な侵略戦争という見方は歴史を無視したものであり事実ではない。

徹底的に解体された日本

 東京裁判において、裁かれた被告は、総理大臣、内大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍人臣、国務人臣など内閣の高位高官である。 軍では、参謀総長、軍令部総長、教育総監など大日本帝国陸海軍を動かした人達である。 元帥、大将、侯爵、男爵などがきら星のごとくである。
 もちろん日本の歴史上、これはどの高位高官が、裁判の被告となったことはない。 天皇陛下までもが一時、戦犯として法廷にでる可能性すらあった。 これは被告や日本人が身命をかけて阻止したので防ぐことができた。 この裁判がいかにもの凄いものであったかを証明している。
 東京裁判の被告は高位高官だけではない。 同時に、日本という国家と日本人自身も裁かれた。 人間ではないから被告とは呼べないが、実質的に 「被告」 として裁かれた。
 第一に、日本の歴史である。 昭和3年から20年9月までの日本の歴史が 「被告」 として裁かれたのである。 しかし、日本の歴史を裁く権限が連合国にあるはずがない。 それだけでもこの裁判が不当なものであることがわかる。
 第二に日本の政治、経済、文化、文明、教育など大日本帝国の中枢機構が 「被告」 となった。 具体的にいうと、大日本帝国憲法、内閣制度、教育制度、議会制度、陸海軍組織など日本の権力の中枢組織を法廷に持ち出した。
 これも現在からいうと、許しがたいほどの理不尽な話であり暴挙である。 戦争に負けたからといって、一国の憲法や議会や内閣や教育まで法廷に持ち出して裁き、最後には解体してしまった。 こんな暴挙をする権限や権利が連合国にあるはずがない。
 いくら日本が負けたとはいえ、日本という一つの国の歴史を断罪し、さらに中枢の制度や組織まで法廷に持ち出し、裁く権限が連合国にあるのかということだ。 また、唯々諾々とそれに従った当時の日本人の戦争の負け方にも疑問がある。
 当時の日本人は戦争の負け方を知らなかったといえる。 捕虜になるくらいなら自決することを当然としてきた日本人にとって、国際法にもとづく戦争の処理、敗戦の時の対応の仕方など、まったく頭になかったのではないか。
 さらに、日本人の武士道的ないさぎよさがかえって災いしたのではないか。 勝者のアメリカにやりたい放題をさせたのではないかと思っている。 日本は完全に丸裸に解体されてしまった。 そのツケが 今 回ってきているのである。

判決にみる理不尽さ

 東京裁判の理不尽さは、法廷において、日米の弁護士たちが職をかけてあばいた。 11人の判事団も意見が人きく分かれた。 インドのパール判事のように日本は無罪であると断定する人もいた。 オランダのレーリンク判事やフランスのベルナール判事、そして裁判長のウェブすら、多数派の判事と意見を異にした。
 東條英機元首相以下の戦犯とされた25人は、11人の裁判官の11対0の全員一致で有罪となったのではない。 判事の間には異論が噴出したのである。 死刑判決をうけた7人も、7人が1人1人、11対0で死刑判決を受けたのではない。
 東條英機元首相の死刑判決は7対4である。 11対0で死刑になったのではない。 4人が反対したのである。 広田元首相の死刑判決は6対5であった。 5人が反対したのである。 たった一票の違いで死刑になった。 松井、上肥原、武藤、板垣、木村の各被告の死刑判決も7対4であった。 無期、有期刑の人も同じである。 25人の被告の中に、判事11人全員が有罪と判決した人はただの1人もいない。 反対者がかならずいたのである。
 ナチスの戦犯は起訴された4つの訴因において、4つの全訴因が有罪だった人間が6人もいる。 日本は判決では10の訴因が上げられた。 しかし、10の全訴因が有罪だった人はただの1人もいない。 無罪と判定された訴因がたくさんある。 松井石根大将は、10の訴因の内、たった一つの訴因で絞首刑になった。 残りの9訴因はすべて無罪だった。
 広田広毅元首相の絞首刑、東郷茂徳や重光葵などの有罪は問題がある。 判決を聞いた検察側のキーナン首席検事すら 「重先は無罪である」 と言った。 東京裁判には細部を分析すると、おどろくべき理不尽さが隠されている。

戦後日本人の怠慢とずるさ

 戦後の日本人は、25人が全員文句なしの戦争犯罪者か極悪人であると、頭の中に刷りこまれてしまった。 とくに東條英機元首相は、極悪非道の人間のごとく思いこまれている。 しかし、東條英機元首相はヒットラーやゲーリングやゲッベルスのような民族絶滅を計画し実行した弁解の余地のない非道な人間ではない。 現在の総理大臣と同じく、総理大臣の指名を受け、皇居で天皇陛下から任命され、帝国議会で正式な承認を受けた首相である。 立憲君主制下の正々堂々たる総理人臣であった。
 多くの日本人は東京裁判の実態や事実をまったく知らない。 そこで何か行なわれたかということを知らない。 判決の結果だけが一人歩きしている。 絶対的に日本が悪者として判決が下ったのではない。 多数決で決まったということだ。 ということは少数派の異論があるということである。 日本の無罪を主張した裁判官もいるのである。
 ナチスドイツの犯罪の無罪を主張した裁判官はいなかった。 日本は絶対的な有罪ではなく相対的な有罪だったということである。 ここが大変重要である。 ここに東京裁判克服の鍵がある。 多くの日本人は東京裁判を誤解し曲解している。 日本は多数決で有罪になったということだ。 絶対的な有罪ではないのである。 弁解の余地のない有罪ではないのである。
 大いに弁解の余地があり、無罪の余地があったのである。 しかも、勝者側による裁きという不利な条件のもとでの多数決の有罪であった。 もし、東京裁判が中立国の判事のもとで、かつパール判事のような理性ある人が判事で行なわれていたら結果はまったく違うものになっていただろう。

法理論的な問題点

( 1 )日本は無条件降伏したのではない。
 日本はドイツのように国土が完全に占領されて降伏したのではない。 ポツダム宣言にあるごとく、日本国軍隊の無条件降伏であって、国家としての無条件降伏ではない。 日本はポツダム宣言という条件付きの降伏だった。
( 2 )罪状の定義があいまいである。
 ①平和に対する罪②人道に対する罪③通常の戦争犯罪の三つの罪状のうち、①平和に対する罪②人道に対する罪、この二つがあいまいである。 勝者が勝手にでっち上げた罪状といえる。 とくに、ナチスの犯罪から勝手に類推して日本に適用しようとした。
( 3 ) 「侵略戦争」 の定義があいまいである。
 平和に対する罪として日本の侵略戦争が告訴された。 しかし、侵略戦争の定義があいまいである。 侵略というあいまいなコトバの定義でもって日本の戦争を断罪するのは無理がある。 戦争に侵略戦争という概念をもちこむのは難しい。 歴史をみても、侵略戦争と断定できる戦争があるのかどうか疑わしい。 日本の戦争だけが侵略戦争なのか。 裁いた側は過去多くの侵略戦争を行なってきたではないか。
( 4 )事後法禁止の原則に反している。
 日本は、ポツダム宣言を受諾し、その宣言うを基礎にして極東軍事裁判所条例にもとづいて、裁判は開かれた。 しかし、ポツダム宣言の中の 「戦争犯罪人」 という概念は、通例の戦争犯罪を犯しか者をいうのであって、当時の国際法には他の二つの罪は存在しない。
 すなわち、平和に対する罪と人道に対する罪は、後からつくった罪であって、事後法である。 事後法禁止、すなわち、事後につくった法律を過去にさかのぼって適用し罰してはならないのである。 これは近代法の根本原則である。
( 5 )戦争は国際法で完全に禁止されているわけではない。 1928年のパリ不戦条約は、戦争についての一般論を言ったものである。 すなわち、自衛のための戦争は認められている。 自衛戦争は国家の固有の権利である。
( 6 )日本の戦争を侵略戦争と判定するのは勝者の判定である。 日本は自衛戦争を戦ったのである。 自衛か侵略かを判定するのは大変に困難である。
( 7 )勝者が敗者を裁くことは、古代は別にして現代のような法治の時代には間違っている。 形式は裁判であるが、勝者による敗者の裁きである。 負けた方が被告にされたというのは事実である。 戦争に負けた敗者を裁くという発想そのものが勝者の復讐と考えられる。 そうでなければ裁判を行なうべきではない。 負けた上に裁かれたのでは弱り目にたたり目である。

組織論からの問題点

( 1 )裁判官全員が連合国側の人間であった。 これは公平ではない。 少なくとも、中立国の裁判官を中心とすべきである。 裁判を標榜するからには、公平のために日本からも裁判官が選ばれる必要がある。
( 2 )裁判官の資格や資質が疑わしい者がいた。
 ソ連が裁判官を出すのは間違いである。
 日ソ中立条約を破って満州に侵略したソ連が目本の侵略戦争を裁く資格はない。 その上60万人の捕虜の虐待という戦争犯罪を犯している。 裁かれるべきはソ連である。
 フィリピンの裁判官は日本軍の捕虜だった人間である。
 日本の捕虜だった人間が裁判官になるのはおかしい。 復讐心にもえており、公平な裁判ができるはずがない。
( 3 )実質的にマッカーサーひとりによって裁判所の設置、裁判官と検察官の任命、裁判所の運営などが行なわれた。 彼の独裁的な権限によって行なわれた裁判である。

「共同謀議」 の罪があいまいである

 日本の戦犯を裁く主要因となった侵略戦争への 「共同謀議」 ( コンスピラシー )という概念があいまいである。 日本は昭和3年( 1928年 )から昭和20年( 1945年 )までの約18年間、侵略戦争を共同謀議したというのである。 こんな長い間、共同謀議したというのは無埋かありすぎる。 なぜならば、日本はこの間に内閣が15回も交代しており、ヒットラーのナチス党を中心としたような組織ぐるみ、人ぐるみの共同謀議のようなものは存在しなかった。
 しかも、共同謀議の罪は、ニュルンベルク裁判では、被告22名中有罪は8名だけだったのに対して、東京裁判では25名中22名が共同謀議の訴因で有罪であった。 これをとらえてもこの裁判はおかしいと言わざるを得ない。 ナチスドイツに共同謀議の罪が少なく、日本に多いというのは論理的に納得できない。 だから、多くの被告は茶番だと思ったのである。

日本の戦争が殺人罪とは摩詞不思議である

 日本の訴因の中には殺人罪というものがあった。 最後の判決では、訴因からはずされたので、有罪にならなかった。 しかし、戦争における殺人罪とは非常に奇妙である。
 戦争とは合法的な殺人行為であると、法廷でブレイクニー弁護士はのべた。 日本の戦争が殺人で問われるならば、連合国の殺人も問われないとおかしい。
 ゆえに合法である戦争の殺人は当然合法である。 判決において、殺人罪が消えたのは当然であるといえば当然である。 しかし、ナチスドイツの訴因には、共同謀議、平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪の4つであり、最初から殺人罪はなかった。 しかるに、日本には殺人罪まで適用しようとしたのは、日本を侮蔑しているか、軽くみていたか、いずれにしても差別意識があるように思える。

個人を裁くのは間違いである

 国家の行為である戦争を個人の責任として裁くのは間違っている。 戦争は政治の手段として国際法で認められている。 戦争という政治手段の行使において個人の責任は関係ない。 ゆえに、戦争という国家意思の発動の行為を個人の責任とするのは問題である。
 日本の戦争を残虐行為として裁くならば、アメリカの戦争も残虐行為である。 そして、残虐行為を戦争犯罪として裁くならば、原爆投下を命じたトルーマン大統領も戦争犯罪者として裁かれなければならない。

文明論・歴史観からの問題点

 東京裁判の最大の問題は、昭和3年から昭和20年までの 「日本そのもの」 を裁いたことである。 すなわち、日本の文化、伝統、教育、社会など日本そのものを裁いたのである。 このことだけでも、東京裁判は不当な裁判であったと思う。 他国が日本という一国の歴史や伝統や文化をさばく資格や権利はない。 そのため、憲法、教育勅語、学校教育制度、伝統、文化まで俎上にあげられた。
 これは屈辱的なことである。 明治維新いらいの先人たちの苦労、いや、歴史は連続したものであって断絶したものではないので、もっとさかのぼって江戸時代や安土桃山時代、平安時代、奈良時代と、連綿と続く日本の歴史への悔辱であったと思う。
( 1 )連合国の戦勝の政治セレモニーであった
 連合国とくにアメリカによる戦勝セレモニーであった。 政治のショーであった。 ミズーリ号上の降伏式とそれに続く一連の戦勝セレモニーの総仕上げである。 歴史上、戦勝国は大なり小なり、勝利の式典を行ない、戦死した自国の兵士とその遺族や国民への効果をねらってセレモニーを演出する。
( 2 )日本に対する偏見および人種差別があった。
 昭和3年から20年までの 「日本そのもの」 を裁判の対象としたことは、日本という国の交化と文明を見下したものである。 いくら勝者とはいえ連合国の越権行為である。
( 3 )日本の歴史や伝統や文化を破壊した。
 大日本帝国憲法、教育勅語、学校・教育制度など、日本人が明治以降につくりあげてきた文化・文明をことごとく裁きの対象とした。 たとえば典型的な例として、結局、旧制中学や旧制高校などの明治いらいの歴史的な日本の教育制度を廃止に追いこんだことである。 これは日本の教育制度を一段下にみるか、偏見から生じた歴史的な愚行であった。
 教育制度以外にも、親に対する孝行、年配者に対する礼節、良い意味での儒教的な道徳心など、日本の古き良き伝統文化が滅びていった。 明治以降につちかってきた日本の良き精神文化の解体が行なわれたのである。
( 4 )日本解体裁判であった。
 マッカーサ元帥の 「日本人12歳論」 を根底におき、日本に対する偏見にもとづく裁判であった。 連合国最高司令官のマッカーサーは、日本人は12歳であると言った。 これは日本というものを知らない無礼極まりない発言である。 マッカーサーは日本という存在をアメリカにくらべて劣った国、劣った文化であるという前提をもっていた。
( 5 )その後の世界の戦争を防ぐことができなかった。
 東京裁判の意義や大義名分に、今後の人類の戦争を防ぐという目的があった。 しかし、その後の国際政治は、この理想とは正反対の動きをした。 すなわち、世界の戦争を防ぐことはできなかった。
( 6 )裁いた側が戦争を行なった。
 日本の戦争を截いた連合国側か戦争を行なった。 アメリカはベトナム戦争、最近ではイラク戦争を行なった。 イギリスもアラブでの紛争に介入し、オランダはインドネシアと反独立戦争を行ない、フランスはベトナムで戦争を行ない、中国は、チベット侵略、朝鮮戦争への参戦、ベトナムやインドとの戦争などを行なった。 ソ連は東欧諸国に介入し、アフガニスタンを侵略した。
( 7 )ソ連が裁く側にいるのは間違いである
 昭和20年8月8日、ソ連は中立条約を破って満州に侵略してきた。 ソ連が東京裁判で判事や検察側になり日本を裁くのは笑止のかぎりである。 日本の侵略戦争を非難し裁く権利も資格も、ソ連にはない。 厚顔無恥とはこのことを言う。 しかも、60万人以上の日本兵を捕虜としてシべリアに抑留し過酷な労働に酷使した。 その結果、6万人以上の人間が飢えと疲労で無念の死をとげた。 これは明らかな国際法違反である。 捕虜の虐待である。